網を編む理由

「坪田地区に、毎日、網を編んでいる人がいる」そんな話を聞いた。これは会いに行かなくては。そらあみづくり体験講座の開始時間前までに戻って来られるよう、朝一番で会いに行った。

 

その方は坪田地区にある製材所にいるという。車を走らせて約15分、製材所を発見。車を停め敷地内を歩く。木造の平屋が敷地両側に延びる。左側の平屋には、たくさんの木の板が積まれていたが、長く手をつけていない様子であった。そして、右側の平屋の一番道路側に小さな休憩所のような場所があった。「おはようございます」とドアを開けると、部屋の中央に屋根まで延びる煙突のついたストーブがあった。ほのかに温もりのある空気から、部屋を暖めているのが分かった。

 

ストーブの周りにはソファーが置かれており、その人は座っていた。「おはよう。今日は寒いからね。」と、服たくし上げて、いきなり腹巻きを見せてくれた。この人こそ毎日網を編んでいる筑波栄一郎さんだ。みんなからは“おおじい”と呼ばれている。御歳89歳。辺りを見回すと黄色い糸で丁寧に編まれた“すかり”という貝やテングサを入れる網袋や、編み針や、途中まで編まれた“すかり”をみつけた。これを毎日89歳の方が編んでいるとは驚いた。

 

更に、別の部屋に連れていってくれ、そこには大量の“すかり”が山積みにしてあり、おおじいの話では、「他の場所にもたくさんあるから好きなだけ持っていけ」とのこと、なにはともあれその圧倒的な物量に誰もが驚くに違いない。毎日編んで、もう何年くらいたっただろう。数百という数の“すかり”があるそうだ。材料は東海汽船が使い終えた、傷の入った古い太いロープをもったいないから解いて細くして、それで作っている。

 

坪田地区の筑波と聞いて、もしやと思い詳しく聞いてみると、自分に網の編み方を教えてくれたベテラン漁師こと“じい”の伯父さんにあたるという。この時点で自分にとっても“おおじい”となった。

 

おおじいに、何故編むのかと聞くと、時間ができた時に、手持ち無沙汰で編むという。ボケ防止にもなるし、と言っていた。確かに、おおじいは耳も全然遠くなく、受け答えも、それはもうしっかりしたもので、とても89歳とは思えない。「自分より年上の連中は、みんなおかしくなっちまった。やっぱ、手を動かすのがいいんだな。でも、これ見ろ、(ズボンの裾をたくし上げる)このスネ、こんなに細くて、栄養もいってないからカサカサだよ。足が悪くて困る」確かに、足は細い。でも会話は本当にしっかりしているのだ。

 

何をきっかけに編みはじめたのかと聞くと、噴火で都内に避難した際に、島に帰れずに時間があるし、都内での生活が、なんだか不安で気を紛らわせるために編んだという。そして、避難先の近くに住む小学生達にあげたらみんな喜んだ、と話していた。

 

“おおじい”は噴火を4回経験している。昭和15年(1940年)、37年(1962年)、58年(1983)、そして平成12年(2000年)。中でも15年の噴火が一番怖かったという。一晩で海に山ができたそうだ。

 

噴火のある三宅島になぜ帰って来るのかと聞くと「ここは生まれ育った場所。やっぱり故郷なんだよ。噴火は自然のものだから仕方ない。」と笑って、遠くの山を眺めて「ここにも、もっと杉や檜なんか、たくさん木があったんだけどな」

 

そらあみの話をさせてもらい、「もしよろしかったら編みにきてください」と伝えたが、足が悪くて、残念だけど行けないということだった。

 

時間が無くなってきたので、お礼を言って帰ろうとすると、突然、編みはじめた。帰るのを止めて、しばらく見学させてもらった。そらあみの編み目に比べたら、もっともっと小さな2㎝程度の編み目を、小さなコマと編み針を使って上手に編んでいく。その手と手つきに見とれた。かつて、焼物屋の巨匠がろくろを回したとき、手に引かれて形づくられていく粘土が気持良さそうに動いているように見えた時のことを思い出した。そして、おおじいがまとった、網を編む理由のようなものを感じざるを得なかった。

 

おおじいは、噴火で島を離れ、三宅島を想って網を編んだ。そして今も、故郷である三宅島で網を編み続けている。おおじいにとって“網を編む”という行為は、故郷である三宅島を想うことであり、どこにいても網を編めば、三宅島と自分とのつながりを感じられる行為なのかもしれない。

 

時間を少し過ぎてしまったが、阿古漁港に戻った。土曜日のそらあみづくり体験講座にはいろんな人が参加してくれた。良い雰囲気だ。しかしながら、我々が網を編む理由はなんなのだろうか?そして、自分が空に向かって網を編む理由は何なのだろうか?

 

最初は2011年の京都府舞鶴市の芝生広場、次に2012年の岩手県釜石市の仮設住宅、そして、三回目は、今、三宅島の阿古漁港中桟橋、おおじいが網を編んで三宅島とつながるように、そらあみは時空を超えて、網を編んだそれぞれの瞬間とつながっている。

 

おおじいにとっての三宅島は、自分にとっては、そらあみでつくり出した“場”である。そらあみは空に向かって網を編むことで時間と空間を越えていく。

 

空と空がつながっているということ、人と人は既につながっているということ、そんな忘れかけている当然の事実を、遥か古代に人類があみ出した叡智である“網を編む”という行為を通して実感することができる。

 

漁師は言う。「網は見て覚える」。遥かな時間と移動を繰り返しその技術は世界に広がったのだろう。そして今も変わらずに見て覚え、編むと必ず、手に紐をつまんだ痛みが残る。この痛みもまた遥か古代の誰かと同じ感覚なのだろう。

 

網を編んで、こんどはどこへ行こうか

今朝は虹が出ました。下に見えるのが阿古漁港中桟橋。ここで“そらあみ”してます

おおじいの背中と大量のすかり

一度役割を終えたロープや紐が一度解かれ、大切に保管され、次なる役割を待っている

いくらでも持っていけと、おおじい

突然、編みはじめた

おおじいにとって、三宅島とつながる行為なのかもしれない

時間と空間を越え、つながる場となっていく

かつて世界のどこかの浜辺にもきっと

網は見て覚える。指先に残る感覚が引継がれていく