網を編んで互いを知る

朝8時、三宅島大学本校舎へ、昨日に引き続きキタガワさんが網を編みに来てくれた。午後からはクニさんも合流。クニさんは網を編む時に編み目のピッチを決めるのに便利な“コマ”という道具をわざわざ作って持ってきてくれた。午前中にいなかったのは、コマを作ってくれていたからなのだろう。本当に有り難い話である。

 

昨夜の建物が軋むような防風雨とは打って変わって、台風も過ぎ去り、青空が栄え、穏やかな秋風が抜ける、非常に過ごしやすい1日だった。網もだいぶ編み進んだ。

 

編んでいる間、3人は基本的に黙って編むことに集中している。聞こえてくる音は、編み紐の擦れるわずかな音。とても静かである。そして気持ちの良い風が抜けていく。漁網を編むという行為は、個人で編むことに集中しながら、すぐ側に他者を感じることができる。話かける時も手を止めないし、視線は手元なので、どこか独り言を言っているような会話である。直接、向き合って話をしないですむせいなのか、プライベートな話など、違和感なくスルスルと出てきたりする。でも誰か1人が声をかけて呼ぶと、ある種、公の会話のようになる。個から公、そして、その間の曖昧な個でも公でもない、心地よい空間が生まれる。個人作業の連なりによる協同作業である漁網づくりはほんとうに良くできたコミュニケーションの場である。2日間共に編みを編んだ3人には形容し難い仲間意識のようなものが生まれた。

 

かつて漁網は浜辺で大勢で編んでいたそうだ。さぞ豊かな時間だっただろう。そしてふと考える。人はいつから皆で網を編みはじめて、そのような豊かなコミュニケーションの場を共有していたのだろう。現在、網づくりは機械化され、このようなコミュニケーションの場は失われた。

 

網づくりや、共同作業と呼ばれるものには、モノやコトを完成させる以外にも、地域社会に於いて関係性を深めるための重要な役割があったのである。言葉や会話で伝わらない情報も共同作業を通して交換していたのである。

ある程度編み上がったものをつないでいきます