“そらあみ”を介して場を開く

今日で三宅島滞在(全20日間)の折り返し日。10月1日に東京を出港し、2日に三宅島入り、“そらあみ”は21日の完成を目指している。そして翌日22日には島を離れる予定である。残り10日。なんだか焦りがある。網を完成させる焦りではなく、島の人と向き合えているのか、そらあみを見てもらえるのか、関わってもらえるのか、といった焦りである。21日以降の展示予定は今のところない。

 

3000人いる島の方全員に何かしらの形で関わってもらうというのは、この期間では不可能である。その理由から確実に漁師さん達に出会うことができる阿古漁港の中桟橋に場を設定したのだ。そして、その効果は徐々に現れつつある。

 

今日も、黙々と網を編んでいると、キタガワさん、続いてクニさんが編みに来てくれた。

 

キタガワさん:「おい。進んでるのか?」

五十嵐:「雨だったので、三宅島大学本校舎内で編んで、今日つなげに来ました。」

キタガワさん:「少しは進んでるみたいだな」

 

クニさん:「全然生徒なんか来ないじゃないか。みんな知ってるのか?」

五十嵐:「いちおう広報は役場を通していろいろしてるのですが、6日にスタートしたので、まだそれほど浸透していないようで、、、。でも、何人かはたまに来てくれています」

 

いつものメンバー3人で編んでいると、気がつくと他の漁師さんが近くまで来て、軽自動車の窓から顔を出して、キタガワさんやクニさんに話かける。

 

漁師さん:「おい。カラスよけでも編んでるのか?誰だか言ってたぞ」

キタガワさん:「こんな派手はカラスよけなんてねぇよ。むしろ寄って来ちまうだろうが」

漁師さん:「なに編んでんだよ。仕事が違うだろ。笑」

キタガワさん:「うるせえな。ほら、三宅島大学のだよ。アートだってよ。手伝えよ」

漁師さん:「ああ。広報で見たよ。そらのやつだろ?」

キタガワさん:「そうだよ。編めよ」

漁師さん:「いや俺、網できないんだよ」

 

こんな具合の会話が人が変わって、次から次へとやってくる。どうやら徐々に噂になっているらしい。広がり方は、「どうやら、キタガワとクニ兄が三宅島大学ので網を編んでいるらしい」という噂のようである。お二人との出会いがこの状況をつくっているのだろう。出会いと2人に感謝である。

その後も、「あしたは海が良さそうだから、金目(金目鯛)の漁の仕込みに来た」とか、「あそこの桟橋に潜ろうとしたらフカ(サメ)がいて、ビックリして足ヒレとゴーグルとを、うっぱなしちまった」とか、「突いた魚を腰にぶら下げて泳いで、上がったら頭しか残ってなくてよ、フカに食われてたんだよ」とか、「カンパチはどこにいるんだ」とか、「サワラを獲る仕掛けはどうしてる?」とか、「カサゴは穴にオス・メス一緒にいるから」とか、「あの船はスパンカー張れないから、船が上(風上)を向かない」とか、「群馬の友人にカンパチあげたら喜んでよ。あそこはフカ(サメ)も食べるみてぇだしな。そんで、朝散歩なんかしてるとネギやら何やら持ってけってくれるんだよ。あっちは地面がたくさんあるからな」とか、とにかく延々と島らしい、漁師らしい話が展開していく。

 

こうして、桟橋に座り込んで黙って編んでいると、自分も漁師になった気分になる。でも決してそこには入れない感覚も同時に感じていた。だから黙っていたのだろう。網を編むことでしか、ここに自分はいられないのだ。網を編むことが、通行手形となり、漁師さん達の中に入れているにすぎないのだ。

 

今、この場には、網があって、編む人がいて、その周りに人が集って、会話が生まれて、夕日が紅く焼いた空がある。自分は、この状況に、どこか豊かさを感じる。そらあみのこの場があるから、キタガワさんとクニさんはここ中桟橋で珍しく(2人が一緒に何かをすることはほとんどないらしい)共同作業をしている。そこに漁師が、どんな目的にせよ集っている。

 

今、三宅島の阿古漁港の中桟橋にはそんな場が生まれている。網を編む意志があれば、今ならこの世界に入ってこれる。その扉が“そらあみ”を介して開かれている。

 

扉が開いているのは残す所、10日間である。

久々に3人がそろった

開かれた場

なんとなくそこにいて、会話をしている

更に網を延ばしていきます

まとめるとヨットの帆のようです