船上プレゼンでの出会い

今朝の早朝5:00に三宅島に到着したので、滞在先である阿古地区にある三宅島大学本校舎(御蔵島会館)で仮眠をとった。

 

阿古地区は村役場もあり三宅島の中心地である。御蔵島会館は、隣の島である御蔵島の高校生が三宅島の高校に通っていた頃に学生寮として機能していたそうである。施設はまだきれいで贅沢なレジデンス環境である。御蔵島の高校生は今どうしているのだろう?ちなみに三宅高校の全校生徒数は36人だそうだ。高校を卒業すると、皆、大学や専門学校など、進学のために東京に行くとのこと。そして一度都会に出るとなかなか戻ってこないケースが多いらしい。

 

ミクロネシアのポナペ島で出会った少年に「ここではないどこかへ行きたい。そのヨットに一緒に乗せてくれ」と言われた時のことを思い出した。自分も島で育ったら、一度は広い世界を見てみたいと思って、外に出るに違いない。その後、もどってきたいと思えるかどうかが、三宅島のこの先の課題なのだろう。過去に訪れた離島はどこも同じ問題を抱えていた。流れる時間や、聞こえる音、島には島にしかない魅力がある。

 

と同時に複雑な人間関係など、ぽっと来た身では分からないものもあるに違いない。でもそれは、都市と地方という関係と同じである。モノと刺激に溢れ、人間関係が希薄で自らの存在すら時に感じづらくなる都市には都市の問題がある。要はその土地その土地で面白さや、豊かさを感じることができるかどうかでしかない。都市が良いわけでもなく、地方が良いわけでもない。本人の中で何を見いだせるかどうかでしかない。重要なことは“ものの見方”である。世界は簡単には変わらない。自らの視点を変えることで、世界は変わるのである。

 

自分は最近、そのヒントやきっかけが島や海といった“海からの視座”にあるのではないかと考えている。世界を捉えなおすカギとなるものは、現在世界の中心となっている都市部から最も離れた場所(海の上)にあるのだと思う。皆、島に行くといい。皆、海の上に行くといい。陸の上の慣れ親しんだ場所にいる自分から一番遠い場所に身を置いて、この世界と自分を考えるべき時期が来ている。滞在期間中、ここでの活動を通して、このことも考えてみようと思う。

 

話を三宅島にもどそう。仮眠して9:00に起床。三宅島大学のマネージャーであり、アートコーディネーターの猪股さんと、まず、そらあみを行う場所の候補地へ下見に行った。候補地である錆が浜園地は海の見えるキャンプ場で道路にも面しており、景観としては悪くないのだが、ここではなかなか地元の人に会えなそうだなと思い、漁網を編むことができる人(漁師さん)がいそうな阿古漁港へいってみた。

 

港のサイズに対して漁船がたくさんある港で、良い感じである(この夏、別のプロジェクト→http://tanefune.com/で32コの港に寄ったので漁港を見る目がついたようだ。笑)。船で作業をしている漁師さんがいたので、自然と話かけてしまった。確認をしてから船に乗り込む。そして、気がつくと“そらあみ”の企画書を見せてプレゼンテーションをはじめていた。職業病だろうか?笑。しばらくすると、また別の船が漁を終えて港にもどってきた。すると、その船に行き、挨拶をして、またプレゼンテーションがはじまる。漁師さん達はまったく相手にしてくれない人もいれば、意見をくれる人もいた。船も人も出入りがあるし、何かが起きそうな気がする。この場所が気に入った。

 

そんな中「キタガワさん」と出会う。後で知ったのだが、キタガワさんは腕も太く体もごつく声も大きく、一見漁師にしか見えないのだが、実は電気屋の社長である。仲間がいるから港にたまたま来ていたそうだ。そのキタガワさんが、“そらあみ”なのか、必死に説明する五十嵐なのか、面白がってくれて、「それだったら、ほら、そこに歩いてるのは、漁協のやつだから話してこい。」「おい!おい!こいつの話聞いてやってくれ」漁協の方と話をすると、漁協としてはやってもらっても良いけど、この港の管理をしている所の確認がいると言われた。そのことをキタガワさんに伝えると、「なら俺が連れて行ってやるから、俺の車に乗れ」と、港湾管理をしている施設まで車で連れて行ってくれた。港湾管理の方と話をすると、細かい注意点はあったが、漁協が良いなら良いと言ってくれた。といった感じで、キタガワさんのおかげで話はトントン拍子で進み、“そらあみ”は阿古漁港の中桟橋で行うこととなった。人との出会いは、なんとも面白い。予定は組めないし、説明の出来ない面白さがある。自分のプロジェクトはいつも、自分が土地に入った時点で、オンタイムで動き出す。三宅島でのプロジェクトが動き出したのを感じていた。

 

車中で、網の編み方を習ったのは、三宅島のベテラン漁師である「じい」であること伝えると、「おおそうか!なら連れて行ってやる」とじいの船小屋まで連れて行ってもらったのだが、じいはいなかった。去年の6月に一週間ほど三宅島大学のリサーチのために島に入った時、網の編み方を教えてもらい、島を離れる時は桟橋まで見送りに来てくれ、紙テープを投げて別れた。その後、体調を崩して緊急入院したりしたそうで、そう長くはないかもしれないという話を少し前に聞いていたので、一瞬不安になったが、奥さんから、釣りに出てると聞いて安心した。めぼしい桟橋へ行ったが、じいの姿はなかった。地元の釣り人にじいをみなかったか、キタガワさんが聞くと、「ほら、岩の海のところにいたろ?」と、、、え!?あの人?

 

そういえば、途中、海岸の先の波のかかる岩の上に腰掛けて、1人、明らかに別世界で釣りをしている人の姿があった。体の具合が悪い人があんな所で釣りをしているとは思いもしなかった。あまりに遠く、次の打合せがあり時間もなかったので、遠くで手を振ることしかできなかったが、奥さんに資料を渡し、自分が島に来たことを伝えたので、じいには一応、今、自分が三宅島にいることは伝わったはずである。滞在中に、また改めてご挨拶とご報告に伺おうと思う。

 

にしても、キタガワさんの顔の広さに驚くと同時に、出会いに感謝である。

 

船上プレゼンの現場

軽自動車のトランクには当然のように網道具。このカッチ(小豆色)が三宅島でよく使われているようだ

話を聞いてくれた漁師さんがいきなり編みはじめた

じいを遠くに見た。海と共にいた。少し痩せたように見えた。