1400年の物語のその先のお話

細長く編み進めてきた網がどれも2m近くまで伸びてきたので、昨日の夕方に隣同士を編み合わせて、1枚の網の状態にした。それまではロープにカラフルな色の帯がぶら下がっているだけだったので、遠くから見たら網には見えていなかった。網なので当然広げると網の目が出てくる。そして網のむこうの風景を網と重ね合わせて眺めることができるようになる。ある意味、“そらあみ”らしくなった瞬間だった。

 

そして今日を迎え、明らかに昨日までと“そらあみ”を見た人の反応が違ったのが分かった。簡単に言うと、はじめてのお披露目で一気に話しかけてくる人が増えたということである。我々スタッフとそらあみが土地に馴染み、プロジェクトとしてのグルーブ感にドライブがかかってきたのを実感した日だった。

 

朝、浅草神社に着くと、そらあみの前に1人のお爺さんが立っていた。そっと網に触れ、広げて、それから2・3歩後ろに下がって、ゆっくりとそらあみを見上げ、しばらくじっとして、その後、どこかへ歩き去っていった。その動きはとてもゆっくりとしていて、そこだけ時間が止まっているかのようであった。朝の光の中、なんとも神々しい風景に出会った。

 

日中、編んでいると、立ち止まって眺めている人、そらあみの写真を撮る外国人観光客、積極的にそらあみを紹介するツアーガイド、「これは何ですか」と話をして来る人、一緒に編んでくれる人、学校帰りに一編みして帰るのが恒例となった小学生、などなど、ひっきりなしに人が出入りしはじめている。プロジェクトが浅草という土地に受け入れられ、回転をはじめている。浅草の日常の中に、するりと入り込むことに成功したようである。

 

なにより嬉しかったのは、ある地元のお母さんから飲み物の差し入れだった。「毎朝見てるわよ〜。なんだか大きくなったわね〜。綺麗ね〜。私、毎日楽しみにしてるのよ。最後まで頑張ってね!」これはやりがいがある。一緒に編んでもらうに越したことはないが、もちろんそれぞれの時間や都合がある。なので、全員が全員編むことはできない。それでも、プロジェクトへの関わり方は人の数だけあると思っている。そしてそれはどんな形であっても意味があることだと考えている。地元の方にとってのいつもの場所にコトを起こし、何かしらの変化を仕掛けている身としては、反応こそが全て、ネガティブなものでも、ポジティブなものでも、無反応よりよっぽど良い。今のところ浅草はとてもポジティブな反応だ。

 

1人の小学生「これ何?」

隣の小学生「これ“そらあみ”って言うんだよ」

1人の小学生「(空を見上げて)これどこまで行くの?」

 

隣の小学生「ずっと上までだよ」

1人の小学生「おまえ編めるの?」

隣の小学生「編めるよ」

1人の小学生「じゃあ僕もやっていい?」

 

西暦2012年10月31日の浅草小学校の2人の小学生が浅草神社で網を編んでいる。浅草神社に祀られる1400年前に網で観音様を海から揚げた2人の漁師と、物知りな村長さんに言いたい。「浅草の網は1400年後の今もちゃんと編まれていますよ」と、、、。

 

浅草は網とは縁を切っても切れない土地である。おばあさんに話かけられた「私の家の向かいに、その漁師の兄弟の子孫が住んでたのよ。もう亡くなっちゃったんだけどね」

 

浅草の地元の方々は網に親しみがある人が多い。浅草神社で網を編んでいるといろんな物語がやってくる。1400年分の物語だ。

 

今、浅草神社では1400年の物語のその先のお話がはじまっている。文化を遺物にしたままでは、その先に生まれる文化はない。過去を引継いで、現在進行形で作っていこうではないか。

朝の光を浴びて気持良さそうにしている

ここにあることに違和感がなくなりつつある

地元のお寿司屋さんの大将。毎日来てくれます。

三宅島で一緒だったEAT&ART TAROさんも来てくれました!うれしい再会!