米粒ひとつ分ずれたら網ではない

沙弥島滞在32日目。今日は10時から瀬居島の竹浦で網づくりを行った。実は瀬居島の竹浦での網づくりは今日で2回目。1回目は2月4日だったので、ずいぶんと時間が空いた。時間が空いた理由の1つは、ここは与島漁協組合長の地元であり、久保組合長から「最終的に網の量は、竹浦で調整するから次は最後でええよ」と言ってもらっていたからというのが1つ。あともう1つは単純にエンジンがかかるのが少し遅かったようにも思えた。なぜなら、2回目の今日は、前回の竹浦での網づくりの倍以上の人が来てくれたからである。

 

そしてここ瀬居島の竹浦もまた、達人クラスの編み手が多い土地である。この日記のはじめの頃に紹介させてもらった久保組合長のお父さんである久保力(つとむ)さんも、今日は足を運んでくれ、一緒に編んでくれた。“爺ちゃん”こと、力さんの登場には正直テンションが上がった。そして久保さんの息子さんであり漁師である知司くんも駆けつけてくれ、親子三代で編んでくれた。

 

他にも、壽丸という船に夫婦でずっと乗ってきた大ベテランの夫婦(めおと)漁師である山本夫妻も来てくださった。旦那さんはもちろんのこと、奥さんがこれまたすごい編み手である。さらに陽光丸の向井さんは代々愛用している大きな網針を持参して新たに参加してくれた。とにかく、まあ編めない人はいないのである。

 

といったメンバーで編んでいたものだから、どんどん網が編み進められ、どこまでも網が延びて行ってしまうので、途中に必要な目数である58の目数を数えなければいけない状況になった。

 

久保さん言う「知司。おまえ数えろ」

 

ちょうど皆の手が止まっていたので、知司くんに注目が集まった。その時、達人である爺ちゃんも、もちろん孫が目数を数える姿を見ているわけである。辺りが静かになった。見ていたこっちまで緊張してしまった。

 

久保さん「知司。おまえ、それじゃ半目ちゃうやないか!」

 

おもむろに今度は爺ちゃんも数えはじめた。誰かが言う「そんなんしたら、知司もしづらいわ(笑)」

 

久保家三代は“新栄丸”という船に代々乗っている。爺ちゃんは達人で、父ちゃんは組合長、そりゃプレッシャーにもなる。ただ、そこには地域の人も一緒におり、親子愛はもちろん、地域からの深い愛情のようなものも全体から感じられた。こうやって育っていくことって、本当に豊かなことなのだと思う。

 

お昼になった。差し入れでいただいた弁当を、網が広がった畳の部屋で食べながら、皆で過ごした。

 

爺ちゃんと山本夫妻の間に座って食べていると、当然網の話になった。爺ちゃんが言う「あのな。これな。米粒1つな(弁当の米粒を指す)。結ぶ位置が違うても、網はいかんのじゃ。最後は目が合わんようになってしまうやろ。な?」「だからな編み手があまり変わってもいかんのや。手が変わると締め具合が変わるやろ。な。」「せやからな。これ(今編んでいる網)は網やけどな。網とは違うんじゃ。な。」とにっこり笑う。

 

漁師さんが実際に使う網は、網の目の大きさで狙う魚が変わってくる。逆に言えば、網の目の大きさを見て、何の魚を狙っているのかが分かるそうだ。大物なのか、小物なのか。移動する魚を捉えるために、その網の制度は高まっていく。それぐらいシビアに漁師の網は作られており、今は機械編みだが、昔はそれを手でやっていたのである。

 

しかも山本夫妻は、ほんとの昔(子供の頃)は、糸から作っていたと言っていた。“おうの木”と、この辺りで昔呼ばれていた植物が素材となる。“おうの木”とは麻のことである。麻の幹の端を、当時子供だった山本さんが持ち、それを大人が繊維状に叩いて開いて、1本1本の繊維を撚ってつないで長くして、さらにその2本を撚って、1本の網糸をつくったそうだ。繊維を意識している人達からしたら、米粒1つ分のずれは、とんでもなく、ずれていることになる。

 

それでも「ボケ防止や(笑)」と言って参加してくれていることに感謝である。彼らは年齢のせいもあり、手先はうまく動かないのだが、道理が分かっているので、仕事が早く、できあがりも美しい。現役バリバリの頃に編んでいたら、完全に目の大きさが揃った網となったのだろう。それは網を見慣れない人からしたら、機械編みに見えたに違いない。

 

あまりに早く編み上がってしまったので、気になる箇所の修正がスタートした。気になる箇所とは、彼らベテラン漁師さんにとって、目の大きさが確実に違う部分のことを指す。「ここ、ずいぶん目がこまいな。格好が悪いで、全部抜いて、入れ網しようや」彼らの美意識からしたら当然である。全員が寄って皆で入れ網をすると、本当にすぐに修正すらも終わったのであった。

 

出来上がった網を外にかかげて、記念写真を1枚パシャリ。

 

そして時間の余裕があったので、相談をすると、残り1つの編み足さなきゃならない与島の分の網にも、不足分を入れ網してくれた。

 

与島分の網を編んでいると、厨房の方から良い匂いがしていた。誰かが言う「もうできたで、網はとりあえずいったん止めよう」と言って、机が置かれ、チヌと穴子の刺身、チヌのあらと大根の煮物、酢で味付けしたナマコ、焼かれたイカが登場し、プシュプシュと缶ビールが開き、宴会スタート。自分らのために用意してくれたのだ。この状況を無視することなど、ありえない。美味しく楽しく時間を過ごさせてもらい。片付けを終え、皆さんが返った後、30分ほど残って、与島分の網を仕上げた。

遥か昔から、人は足の親指と人差し指で網を挟んできたのだろう

網がガンガン延びていきます

目の大きさが気に入らず、突如全員での入れ網がはじまった

爺ちゃんに山本さん。達人コンビです

瀬居島。竹浦の空にそらあみを掲げてみる

記念写真をパシャリ

左がチヌの刺身。右がアナゴの刺身。真ん中奥がチヌのあらと大根の煮物。その右がイカ。絶品です。