衝撃の事実から一夜明けて

沙弥島滞在29日目。昨日の瀬居島の西浦で編み上がった網をピンと張り、想像よりも網が縮んで長さが足りないという、衝撃の事実を知ってから一夜が明けた。午前中はそれぞれの島の自治会長さんや漁師さんに連絡をし、長さが足りないという事実を伝え、改めて続きを編んでもらうのにどうしたら良いか相談させてもらった。

 

櫃石島と瀬居島の西浦と竹浦の3地区は、まだ完成していなかったので次回の網づくりでやろうということになった。与島と瀬居島の本浦の2地区は人手も少なく年輩の方も多かったので、手元に残っている今回の網づくりで出来た端材の網をつなぐことになった。

 

そして、活動拠点となっている沙弥島と、昨日完成した岩黒島は、なんと、今日の午後からやってしまおうと、いうことになった。沙弥島は高尾自治会長をはじめとするベテラン漁師さん達が集ってくださり、岩黒島からは若手の漁師さん3人がわざわざ瀬戸大橋を渡って沙弥島の海の家まで編みに来てくれたのだ。本当にありがたい。感謝である。

 

ということで、午後からは、滞在先である沙弥島の海の家に、沙弥島のベテラン漁師さんと岩黒島の若手漁師さんが同じ空間でそれぞれの網を編むという。偶然に生まれたけれど、非常に面白い状況となったのである。

 

沙弥島のベテラン漁師「親父さんは元気にしとるか?」

岩黒島の若手漁師「おう。元気にしとるで」

沙弥島のベテラン漁師「岩黒はええのう。こんな若手が育っておってな。羨ましいわ。親父さんはちゃんと立派に育てあげたのう。頼もしいわ。もう親父さんより獲るやろ?」

岩黒島の若手漁師「その時、その時やな。でもまだまだやで」

 

沙弥島のベテラン漁師さんの言葉は、本当に羨ましそうでもあり、どこか誇らしげというか、嬉しそうにも聞こえた。

 

“若手が育つ”。それは、どんな時代のどんな地域でも、すばらしく誇らしいことである。なぜならそれは、これまでにつないできたものを未来へ託すことができるからである。若手とは未来そのものであり、希望なのである。沙弥島と岩黒島。島は違うが、同じ塩飽の海で仕事をする仲間として、沙弥島のベテラン漁師さんは岩黒島の若手に未来の希望を感じたのだろう。

 

その後、漁や海の話をしていたが、専門的すぎて、あと言葉が早くて何を話しているのか分からなかったが、とにかく、良い時間が流れているように感じた。ただ仲良しというわけではない。それぞれに別の島の者同士という、適度なライバル感もそこには流れていた。それもまた、引継がれるものなのだろう。競い合い、世代も違うが、同じ方向を見ているからこその信頼関係のようなものがそこにはあった。

 

沙弥島の網は8割方できあがったが17時を迎えたので、残りは明日ということになり解散。岩黒島の網は最後まで編んで、18時前に完成した。

 

そしてそのまま、岩黒島の若手漁師3人が、持ってきてくれた獲れたての海産物で鍋や刺身やバター炒めをつくってくれ、一緒に食べて、酒を呑んだ。最高に旨い食事と酒であった。漁師は酒にも夜にも強い。気がつけば朝の5時を迎えていた。

 

本当にいろんな話をし、話を聞いた。面白すぎてここには書けない。というか、あまり思い出せない。1つだけ良く覚えているのは、そこに根ざして生き土地に対して縦軸を持つ彼らと、転々と移動し土地に対して横軸を持つ自分とが今回出会ったわけである。これが一過性のものではなく、その関係性をどうつないでいけるかが重要だ、という話をしてくれた。簡単に言うと、また会いに来い。成長した姿を伝えに来い。ということである。

 

生きる上での役割分担のようなイメージが沸いた。それぞれにできることを精一杯して、必死に生きている姿を再会する度に伝え合えたら、そんなに面白い人生はないだろう。

 

人生は一度しかない。だから他の人生は選べない。自分は彼らが羨ましいし、逆もまたあるのだろう。人はないものねだりである。でも2つは選べない。誰かの人生は歩めない。だから誰かと会って、話して、飯を食って、酒を呑み、その人生の物語を交換するのである。

岩黒島の若手漁師と沙弥島のベテラン漁師が、偶然にも同じ空間で網を編むことに。言葉で説明できない、たくさんのものを交換していたように感じた。

新鮮すぎるニシ貝。本当に美味しかった。

漁師さんは酒にも夜にも強いのです。この時はまだ、酒と夜のはじまりにすぎなかった。