明日は北側から網を下ろします

沙弥島滞在45日目。ここのところパソコンの前で事務作業が続いていたが、今日は1日波の音が聞こえる場所で設営作業をした。体は疲れたし、日に焼けた顔が火照っているが、気分がいい。やはり、体が海を求めている。

 

車に網やロープを積んで海の家を出発し、朝9時に現場に入ると、そこにはもう既に、施工屋さんと沙弥島の漁師さん達の姿があった。今日、施工屋さんは強度を出すためのワイヤーを張る作業。それを追いかけるように、漁師さん達は滑車にロープを取付けて輪にして、繋ぎ部分は“さつま”にし、網を均一に広げて、最後は実験で網を空に掲げるところまで行った。基本的には上手くいき、だいたいの具合が分かった。明日以降でさらに作品の完成度を上げるべく調整を行う。

 

網やロープというものは、多少の伸び縮みをする。なので、最終的には掲げてみないことには分からないことが多い。そのため、そらあみを設置する際は、最後の調整に時間を要する。可能な限り早くやりたかったので、施工の段取り上、それが今日となった。

 

漁師さんという方々は、現場に強い。簡単に言うと本当に現場で頼りになる。モノを見て、素材に触れて、“いける、いけない(できる、できない)”を判断する能力が非常に高いのだ。自分がどんなに机の上で計算しようが、現実は違う。

 

棒がしなったり、ロープが伸縮したり、網が湿気を吸って重くなったり、その他にも無数の計算できないことが、この世界にはある。実物を目の前にしたら、帳尻合わせは現場でするしかない。それは経験則からくる判断が最も頼りになる。漁師という網とロープと棒のスペシャリストなくしては、今回のそらあみは、編みはじめから設置まで、達成することはできなかっただろう。そう思わされる1日だった。

 

そして、なんとまあ、海の似合う男たちだろうか。

 

朝から集まってくれたのは、高尾さん、山本さん、溝渕さんと、もう1人の溝渕さん、そして浜辺のじいさん。皆さん、空に立ち上がった棒を見て、テンションが上がっているのが伝わってきた。早く完成させたい。綺麗に見せたい。そういった想いがビシビシと伝わってくるのだ。この“そらあみ”という作品は彼らにとって、もう自分のものにちゃんとなっているのだと実感することができた。

 

あくまで、きっかけは五十嵐だったが、今は、誰かにやらされているのではなく。自分がしたいからやっているのだ。この時点で、作品であり、今回の自分の仕事は1つ達成をしたことになる。

 

土地の風土を活かし、そこに生きる人の知恵と技を引き出し、結晶化させた時、今まで“あたりまえ”だったそれは、価値を持つようになる。

 

漁網を編むという行為は、魚を獲るためだけの技術ではなく、コミュニティをつなぐ文化的行為なのである。

 

人がいるから、何かを伝えたくなるのである。伝えたい想いがあるから人は表現をするのである。沙弥島の漁師さんに限らず、一緒に編んだ漁師さん達の心にある、その想いに、火が灯り、確実に大きく成長しつつある。

 

作品の見え方としては、完成度を上げるのはここからが正念場。明日の朝8時に集合し、さらなる調整を行う。

 

網を車の荷台に片付けながら漁師さんが言う。

 

「五十嵐さん。明日は北側から網を下ろしていったらええ」

 

初めて聞く言葉だった。要は、車に網を重ねて収納したので、上から順に下ろしていくと、一番北側の棒から網を下ろすと良いということなのだが、その言葉はまるで、海の上で網漁師が使う言葉のようではないか。まるで海底の地形を理解し、潮を読んで網を海へと下ろす時のようである。こんな風に嬉しい言葉をかけられると、ちょっと漁師になった気分になる。

 

その気になって言うのである。

 

「明日は北側から網を下ろします」

なんとまあ、海が似合うことか

網目を均一に広げます

浜辺のじいさんはお気に入りのイスを持参して、全ての滑車ロープを美しく“さつま”で継いでくれました。

実験。一度、全体の様子を見るために、仮に吊り上げてみました。