漁師と芸術家は似ている

沙弥島滞在47日目。昨日に引き続き、朝8時、作品設置場所である沙弥島海水浴場(西の浜)へ。昨日とほぼ同じ沙弥島の漁師の皆さんと、今日も一日、吊り上げた時のロープのたわみや、網の裾の処理などの調整作業を行った。

 

実は昨夜、急に風が強くなり、網を見に行ったら、既に下ろしてあった。今朝話を聞くと、下ろしてくれたのは沙弥島の漁師さん達だった。晩のニュースを見て風が上がるのが分かったから、会期前に網に何かがあてはならないと、雨の中、作業をしてくれていたのだ。心から感謝している。作品を介して良い関係性ができていることが実感できる出来事だった。

 

作業の休憩時間に漁師さんからいろんな話を聞いた。その1つは風についての話だった。海辺に住む漁師さんは、家で風の音を聞き、吹いてくる方角が分かるという。山から聞こえる木が揺れる音や、家に吹き付ける風の音などから判断するそうだ。“風音を聞いて方角を知る”など、その土地の地形やまわりの海を理解して、それが体に入っていないとできない技である。日々、自然と向き合って仕事をしているからこその話であった。晩のニュースだけでなく、風の音を聞く技術は、昨夜の風の判断材料にもなったに違いない。

 

そして、漁の仕方の話になった。漁師は海や魚といった動くものであり、自然を相手にしているから、験を担ぐし、運も大事だと言っていた。でも最終的に、いつ、どこで、漁をするかは経験からくる“勘”なのだそうだ。そして、漁をする時、船から海の中は見えないので、いつも、海底の形や魚の動きなどを、潮の流れや、季節や見える地形など、まわりの情報から判断し、想像力を使って網を海に落とす。“見えない動くもの”を追いかける仕事だと言っていた。

 

さらに漁師さんは「せやから、勘と想像力が大事なんや、漁師と芸術家は似とるな(笑)」と一言。

 

確かに似ているのかもしれない。漁師さんたちに芸術家らしいらしさを感じたのは、時間を忘れて作業に没頭するところであった。そらあみで網を編むこともそうだし、今日も昼をまわっても、あまり時間を気にせずに、「ここはああしよう」、とか「これはどうにかせんといかん」と言って、なかなかお昼休みにならない雰囲気があるのである。そして何より自分は漁師さん達と気が合うし、自然との向き合い方や、ユニークさや、素直さや、男らしさに憧れを感じている部分がある。

 

そらあみは、そんな勘と想像力を武器に仕事をしてきた131人の漁師さん達が編んだ網である。この網には、どんな“見えない動くもの”がかかるのだろう。網の手入れはほぼ終わった。あとは“海に下ろす”ではなく、“空に掲げる”だけである。

 

そらあみに出会ったら、是非、勘と想像力を使って、鑑賞してもらいたい。

まだ昨日の風が残っている

日が射すと暖かい。「手がかじかむ」ではなく「手がこごえる」と表現するそうです

西の浜に新しくできた海の家の2階より。この建築も芸術祭出品作品です。友人のEAT&ART TAROさんはここで「島スープ」を展開します。