春一番に便りを乗せて

沙弥島滞在34日目。春一番が全国的に吹いた。沙弥島は日中ずっと雨だったが、夜になると雨は止み、温かな風が一晩中吹き続けた。

 

風が気になるので調べてみた。春一番とは、春の訪れを告げる南よりの強風のことで、日本海で発生した低気圧に向かって、立春後最初に吹いた南よりの強風を、そう読んでいるとのこと。立春は、冬至と春分の間の日。今年2013年は2月4日だった。その日、自分は、瀬居島の竹浦で網を編んでいた。

 

今日、今までに滞在制作を行ってきた全国各地の関係のある土地に、瀬戸内国際芸術祭のチラシを発送した。天草・太宰府・舞鶴・三宅島・横浜・若葉台・浅草・千葉・水戸・新潟・釜石と、偶然ではあるが、南から北まで上手いこと広がっているものである。自分の成長を見守ってくれている方がいる土地でもあるので、活動報告にも近い。ただ、郵便局でチラシをそれなりの部数ずつ送ると、けっこうな値段になった。

 

春一番は1日で全国各地に届く。それなれば、春一番に乗せて全国各地に便りが届くとお金もかからないし、季節の変化も感じられるし、すごくいいのに。などと妄想した。まあ、結果として春一番と同じタイミングで便りが届くことになるので、イメージする人は春一番に乗ってやってきたと思ってくれるかもしれない。今後、そういった季節風のタイミングに合わせて便りを送るといったことを意識してやってみると、けっこう洒落た計らいとして受け止めてもらえるかもしれない。

 

さらに春一番の由来についても調べてみた。由来はこうだ。1859年(安政6年)2月13日,五島列島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難してから,郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風を,春一または春一番と呼ぶようになったのが始まりで, 1950年代後半よりマスコミで使用され一般化した(気象の事典,平凡社,より)。とのこと。

 

“春一番”という言葉は、壱岐の漁師が創った言葉だったのだ。春一番と聞いてイメージするのは“風”か、“アントニオ猪木のものまねをするタレント”くらいである。まあ、ほとんどの人は“風”をイメージするに違いない。春一番と聞くと、これから温かくなるという、どちらかというと明るいイメージを持つが、その由来は、生死を分ける存在である風を警戒する漁師が、海で生きるための言葉として生み出したものであった。

 

春一番。その本質は、春の初めの強い南風。危険な風と捉えるか、温かな風と捉えるか、1つの言葉でも、自分がどのような視点でこの世界に関わっているかで、読み取る意味は変わってくる。

 

瀬戸内に来て、自分の中で、春一番の意味が“温かな風”から、“危険な風”へと変化しつつあるように感じている。その一番の要因は、風の影響の強い沙弥島の西の浜へ作品を設置することであり、そのことの危険性を知る漁師さん達と会い、日々、彼らから風の話を聞いているからである。

 

今夜は春一番が吹いた。彼らは船を出して漁をすることはなかっただろう。