32時間移動すると月の形が変わる

ブラジル初日。レシフェのホテルに着いたのが6月2日の夜8時。千葉の家を出たのが6月1日の昼12時。時差とか考えると訳が分からなくなるので、単純に手元の時計で計算すると移動時間はなんと32時間。

 

飛行機の航路は成田→インチョン→ロサンゼルス→サンパウロ→レシフェ。さすがブラジル地球の裏側。やっぱり遠い。国際線は大韓航空。国内線はTAMというブラジルの航空会社で移動した。

 

成田→インチョンは3時間、インチョン→ロサンゼルスは12時間、ロサンゼルス→サンパウロは12時間、サンパウロ→レシフェは4時間といった、振り返っても尻が痛くなるような機内生活。大韓航空に至っては合計27時間くらい乗っていたので愛着が沸いてしまった。おかげさまで、自分の中では、今は1番に信頼できる航空会社である。機内食はビビンパ、チキン、ビーフと3つの中から選べるのだが、結果的に全部食べた。笑。友人がお勧めしてくれていたビビンパは、チューブに入ったコチュジャンをしぼるのは初めての体験で少々驚いたが、コクと辛みも好みで調整できて美味しかった。

 

成田→インチョンは日本観光を終えて帰国する韓国人女性が隣りに座った。特に会話をすることもなかった。続いてのインチョン→ロサンゼルスはベトナム人女性が隣りに座った。頭上の荷物置きに大きなスーツケースを入れるのが大変そうだったので、かわりに入れてあげた。横に座ると、もぞもぞとバックの中から透明のビニール袋取り出し、口を開け、謎の食べ物をパクリ。そのまま勧められる。餃子のような形をした緑と白の塊がいくつか入っている。ちょっと抵抗感があったが、美味しそうに食べていたし、断るのも悪いので白い方を1つパクリ。甘い。なんだこれ。甘いジェル状の蒸しケーキみたいな食感。まぁ食べられないこともない。すると更に勧められるので、今度は緑の方をパクリ。味は一緒。結局そのまま2人で一袋を食べ切った。なんだか不思議な旅のはじまりを予感する状況だったが、これから12時間隣りにいるのだから関係性は良いに越したことはない。特に会話もなくそれぞれ時間を過ごし、ロサンゼルスが近づくと、再びバックからもぞもぞと何かを取り出した。こんどは味のないグレープフルーツみたいなやつだった。なんとなく流れができてしまっていたので、これも2人で完食。座ったまま、お互い笑顔でお辞儀をした。おかげでずっとお腹が一杯の12時間を過ごすことができた。笑。

 

飛行機はそのままロサンゼルスで給油をして、サンパウロへ向かう。機内清掃もあるため一度下ろされて、両手の指紋と顔写真を撮られて、アメリカというか空港に入国し一時待機。額縁に入った大きなオバマ大統領の顔写真で出迎えるあたりは、アメリカという国に改めてぎょっとさせられた。成田にも阿部首相の顔写真があるのだろうか?アメリカではトイレに行って歯磨きをして、用を足すくらいの時間しかなかった。そして、こんどはクツまで脱がされて、身体検査を受け、そのまま出国となった。飛行機は同じ席だがベトナム人女性はロサンゼルスで降りたため、隣りは空席。この頃になると、寝ているのか起きているのか、朝なのか夜なのか、もはや今が何時で自分がどこにいるのかどうでもよくなってくる。とにかくブラジルに向かっていることだけがはっきりしている。あとはさっき食べたばかりのような気がしつつも、ひたすら出てきた機内食を食べるとサンパウロに到着する。

 

朝10時過ぎサンパウロ空港に到着。やったーブラジルだー!ここまで連れて来てくれてありがとう。大韓航空の皆さん。感謝です。

 

荷物をピックアップして自分はさらにここから国内線に乗り換えてレシフェに移動しなければならない。まずはチケットを発券してもらわないと、、、。しかし何に困るってポルトガル語が全く理解できないのである。早口言葉のように音が流れていく。良く喋る搭乗手続き担当者を見ながら、とりあえず、うなづいてみる。あとは身振り手振り。どうやら国際線は問題なかったが、国内線では荷物の荷重オーバーらしく追加料金の加金手続きをしてこいと言っているようだった。指差された別の店舗へ移動。ここも気合いで乗り越え、加

金手続きを終えた証明書を持ってもう一度窓口へ行き、どうにかチケットをゲット。時間があったのでアメリカドルからポルトガルのお金であるレアルに両替。両替の人に「カムサムニダ」と言われる。どうやら大韓航空に長くお世話になりすぎたせいで韓国人に見えるようになったようだ。ん?しかし両替の時パスポートを見せたな、、、。ということは今こうして日記を書いていて気が付いたが、あれはブラジル人ギャグだったのか?!笑。めんどうだったので韓国人のふりをしてやりすごしたのだが悪いことをした。というか、ふりはできていなかったということか、、、。

 

両替したら使ってみたいものである。手に入れたばかりのレアルを使って、英語もほとんど通じないので身振り手振りで注文し、カフェで昼食をとり1時間ほど時間をつぶし、その後、搭乗口へ向かう。国内線に乗るにはさらにバスで飛行場内を移動しなければならないのだが、ここで間違えたり乗り遅れたら困る。そして次々に行き先の表示が変わっていくので、飛行機に乗り馴れていないブラジル人も不安そうにしているほどである。同じチケット番号を持った人をみつけたので、その人のあとに続いて無事にレシフェ行きの飛行機に搭乗。15時50分離陸。機内はポルトガル語で溢れかえっている。これから1ヶ月こんな感じか、、、。飛行機の振動とレシフェ行きの飛行機に無事に乗れた安心感のせいか機内では熟睡。目が覚めたらレシフェの空港だった。辺りはもう真っ暗。夜の7時半くらいである。荷物をピックアップしタクシーをつかまえてホテルへ移動しなければ、、、。ちょうど空港のタクシーサービスがあったので、予約先のホテル告げる。が、もちろん英語はできない。携帯で画像を見せるとやっと理解してくれ、30分ほどかけて市内へと向かった。

 

暗いのと、疲れで、町の様子はあまり覚えていない。2つだけ覚えているのは、裸足でバイクに乗っている人がいたのと、三日月が出ていたことである。しかも日本では見ない形の三日月だ。暗闇に白い笑顔の口がニンマリと開いたような三日月。日本で三日月の絵を描いたら多くの人は、右下に円弧がくるように描くだろう。しかし、レシフェの月は真下に円弧がきているのである。以前にミクロネシアの浜辺で出会った子どもが描いた三日月に驚いたのを思い出した。あの時の三日月に良く似ている。ミクロネシアは赤道にほど近い。ここブラジルのレシフェは南半球。月の形で自分が今、南半球にいるということを実感できた。

 

32時間移動すると、月の形が変わるのである。

 

6月1日昼12時に出発し6月2日夜8時に長い移動を終えた。

 

ポルトガル語にうんざりしながらホテルにチェックインし、シャワーを浴びて、飯も食わずにベッドに吸い込まれるように眠る。

 

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太平洋を越えていきます。

 

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以外に美味しい

 

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衝撃のお出迎え

 

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まだまだ遠い。

 

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ありがとう大韓航空。

 

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寝る前にホテルの窓から見た風景