“暮らし”という現場

ブラジル31日目。今日は丸1日、飯を食って、酒を飲んで、網を編んでいた。

 

朝。朝と言ってもけっこう早くて、7時〜8時にエジウソンとジュリオとケウの3人が、それぞれ別のタイミングで訪ねて来て、夜まで一緒に過ごした。

 

ご飯を作り、そして食べた。

酒を注ぎ、そして飲んだ。

糸を巻き、そして編んだ。

 

全てが同時進行である。誰かがご飯を作っている時は、誰かが糸を巻き、また、誰かが休憩し、誰かがご飯を食べている時は、代わりに誰かが網を編んでいた。それが、役割分担など特には決めずに、自然とできた流れで、自分がやりたいことをやりたいだけするという、言葉を交わさずにできあがった絶妙なバランスだった。

 

こんな風に、暮らしながら“そらあみ”をしたのは、初めての経験でとても新鮮だった。

 

これまで経験した現場ではお昼時などにこの状況になることもあったが、基本お昼もみんなの手を止めて一緒に食べていたので、こういった状況が出来上がることを、以外にも想像したことがなかった。これも時間やその過ごし方をキッチリと段取りして動きたがる日本人が勝手に縛られている常識なのかもしれない。

 

ブータンで出会った、村人総出で村の役人のための家を建てている時に参加した感覚に近い。話をする人、歌を歌う人、寝る人、家を作る人、いろんな人が、そこにおり、その場をつくっていた。

 

時間を楽しみ、共に過ごし、「また明日」と言って、夜になると帰っていく。小さい頃、友達と夕方まで遊んだ感覚にほど近い。

 

暮らしの中でやってみるとこんな感じなのか、、、。暮らしに入っていって、土地と人との関係性の機が熟したら、ほんとに小さな場を広げ、ふとはじめてみる、、、。ある意味究極の形だな、、、。

 

郷に行っては郷に従え。本当はビーチで場を設けて編もうと思っていたのだが、たまたまこの時期のブラジルが雨期で、大雨が降ったり止んだりなので、屋外で作業しづらく、結果、新しい現場の動かし方を再確認した感じがした。

 

この一連の自分の動き方って何て呼ぶのだろう?

 

アートというコミュニケーションツールを持って、世界各地のコミュニティに入って、その土地の暮らしという、最も当たり前で最も刺激的な経験を通して、作品や活動を発表していく。この星に身を任せ、アートで世界を旅する。レジデンス制度よりも旅の要素が強く地域への入る深度が深い。Art Trip to Lifeとでも言うのだろうか。シンプルなもうちょっとしっくりくる言葉が欲しい。

 

“暮らし”という現場をアートで旅するのだ。

 

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エジウソンは編むのが好きみたいです

 

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ジュリオは編むのはちょっと苦手です。糸巻きメインです。

 

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ご飯を食べている横で、糸巻きをしています。

 

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道具も暮らしの中に配置された