雪の氷見入り

東京駅発の上越新幹線で越後湯沢駅へ、そこから北陸本線に乗り換えて高岡駅へ、最後に氷見線に乗って終点の氷見駅に到着。約5時間の移動。駅の外は見渡す限りの白銀の世界。抱えてきたダウンジャケットに迷わず袖を通した。

 

今日から3月15日までの約5週間氷見に滞在し、「そらあみ-氷見-」を行う。東京に帰る時は3月14日に開通する北陸新幹線に乗るつもりだ。

 

きっかけはここ富山県氷見市で活動しているアートNPOヒミングからの声がけだった。今春4月21日、氷見市に漁業交流施設「魚々座(ととざ)」がオープンする。その施設内の空間全体に広がるように、氷見の代名詞とも言える寒鰤(かんぶり)を獲るための漁法であり、氷見が発祥の地である「定置網」が設置される。そんな定置網には魚を囲い網に誘導する「垣網(かきあみ)」と呼ばれる部分があるのだが、魚々座ではその垣網部分を施設の入口から屋外に出て外に向かって伸びるように設置する計画がある。その部分を《そらあみ》で制作することはできないだろうかという話だ。

 

《そらあみ》は参加者と共に空に向かって漁網を編むことで、人をつなぎ、記憶をつなぎ、完成した網の目を通して土地の風景を捉え直すプロジェクトである。これまで日本国内各地10数カ所、2014年6月には遠くブラジルでも行ってきた。

 

《そらあみ》が生まれたきっかけは、2011年の6月。東日本大震災を機に、20年に1度のペースで噴火があり、自然災害と共に生きる島の東京都三宅島に学ぶプロジェクト「三宅島大学」に参加した時、1人のベテラン漁師から漁網の編み方を学んだところからはじまる。この時、「編む」という遥か古代から海辺で営まれてきた共同作業の中に、過去から未来へと引継がれる縦軸(時間軸)と、海を超えてつながっていく横軸(空間軸)と2つの方向性をもって、“コミュニティをつなぐ所作”としての可能性を感じた。

 

氷見は「天然のいけす」と言われる魚の宝庫である富山湾に面し、能登半島の東側の付け根に位置する。そして、越中式定置網発祥の地として400年の歴史がある。《そらあみ》という漁網を編むことを軸としたプロジェクトを展開していくなかで出会うべくして出会った土地とも言える。

 

自分は、アートは暮らしの中にあると考えている。そして、それは人が社会であり、自然であり、この星と向き合って生きていくことを意味する。なので、我々の仕事は、どこの場所に行っても、見えないものや、見えているけれど意識されていないものを、見えるようにすることである。

 

氷見と定置網とは?暮らしの中の網とは?この土地の人はどのようにこの星と向き合って生きてきたのか?400年という時間が網という存在によって、現在進行形でつながっている定置網のはじまりの地で、《そらあみ》を介していったいどんな物語が編まれていくのだろう。編むことで生きてきた、そして今も網と共に生きている土地での《そらあみ》がはじまる。