葉から場へ

太宰府24日目。くすかき16日目。朝夕の《日々のくすかき》と、今年最後の《くすのこうたき》を行った。

 

樟の落葉枚数はここのところ少なくなってきている。そして小枝が多く混ざるようになった。枝が落ちると、落葉が終盤に向かっているサインである。

 

落葉が少なくなると、「今日は葉っぱないね」という言葉が交わされ、なんとなくみんなテンションが下がる感じになる。しかし、葉っぱがないときこそ、くすかきのコンセプトである「葉っぱが落ちてくるための場所づくり」ができる。具体的には、松葉ほうきを使って目立てをし、縞模様を描き出す。

 

ふと、「樟は、よくできてるなぁ」と感じた。その理由は、くすかき会期はじめはたくさんの落葉があり、1年ぶりの落葉掻きというのもあって、感覚を取り戻しながら、目一杯掻き、皆の足並みは揃わず、少し気持が空回りしているところからスタートし、日々感覚を取り戻しながら、チームワークが育ち、徐々に落葉の量が減っていくことで、最終的に「落葉掻き」から「場づくり」へと、ステップアップする。「葉」から「場」へ意識が変化していくのだ。そして、今年の掻き手の顔がだいぶはっきりと見えてきて、最終日の「くすのかきあげ」を迎え、目には見えないけれど大切なもの、葉っぱでも場でもなく、その先にあるイメージの象徴である、かつて存在した千年樟を描き出すといった三週間の流れがある。このプロセスが非常に重要である。樟と同じようにくすかきの掻き手もチームワークも意識も日々変化し成長していくのだ。

 

それがちょうど《くすかき》の会期であり、落葉のタイミングでありといったものと、うまくいくようにできている。それで「樟は、よくできてるなぁ」と思ったのだが、まぁ、樟の落葉に合わせて《くすかき》をはじめて、毎年改良を加えてきたから、当然そのようにしかならないといえば、確かにそうなのだが(笑)

 

樟は、くすかきをしていようが、していまいが、毎年、新芽を出し落葉する。人はそこに感動し、多くを学ぶ。樟はそこに、ただただありつづける。重要なのは、人がそこからどのように美しさや豊かさを見いだすかどうかである。要は、平たく言うと、ものの見方でしかない。豊かで美しいものの見方ができれば人生は豊かで美しいものになるということだ。全ての答えは自分の中にある。

 

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今朝の落葉風景。

 

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掻き山のまわりも目立てしました。

 

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チームワークばっちり。

 

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目立てして緊張感のある空間になりました。落ちてきた枝を縞模様を消さずにピックアップ。

 

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同じ掻き山なのに目立てをして見え方が変わりました。「掻き山の中に何か入ってるみたいに見える」と誰かが言った。

 

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昨日の水蒸気蒸留で採れた樟脳。辺りはさわやかな樟の香りに包まれています。

 

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今年最後の竃の番人達の姿。

 

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葉っぱを細かく砕くマシーン(その名も、葉っぱバラバラ)もきれいにメンテナンス。

 

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次に使うのは1年後。入念に手入れ。

 

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今日は最後のくすのこうたきということもあって、それぞれ焼きたいものを持ってきて楽しい雰囲気。子どもたちには、肉より芋が人気があってびっくり。

 

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冷却装置に水をかけます。おしゃべりも柄杓で水をかける手も止まらない。女性陣、流石です。

 

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バナナもリンゴも芋も鶏肉も焼いてみました。

 

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落葉が落ちてくる場所づくりした上に落葉が落ちてきました。やはり見え方が違います。