与島の〈そらあみ〉完成。最後の島民。

沙弥島滞在21日目。今日、与島の〈そらあみ〉は完成した。漁師さんの少ない採石の島ということもあり、お母さんたち、石工さん、船を動かす仕事の方に、駐在さんなど、普段は網を編まない人たちが中心となったため、編み方も伝えた通りで一定で、網目の大きさが揃い仕上がりは綺麗である。

 

与島はかつて採石業が盛んだった。豊臣秀吉の検地の時には、与島は5箇所ある「御用石帳場」の1つに選ばれたほどだ。その後、江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり、与島のすぐとなりにある小与島では「与島石」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた。石材を搬出する海運業も栄え、50隻もの運搬船が使用されたという。その後、瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した。

 

人口の推移としては1980年代には島民は361名おり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続き2010年には115人となり高齢化も進んでいる。

 

ネット上の情報はこんな感じだ。絵に描いたような20世紀型観光業の失敗パターンである。仕上げにとりかかった〈そらあみ〉の横で、自治会長がテープに録音された「石切唄」を流した。今度、瀬戸芸のオープニングで各島の伝統芸能を披露することになり、与島はこの「石切唄」をすることにしたそうだ。

 

方言が労働歌に重なり歌詞が聞き取れないのだが、唯一、カチーン、カチーン、カチーン、と拍子を取る音だけは理解できた。石を割るために楔にハンマーを打ち付ける音だ。

 

自治会長「サブちゃん。おまえ、これ、瀬戸芸の開幕でやるんやぞ。頼むな」

サブちゃん「…(黙って編んでいる)」

 

サブちゃんは、与島石で有名な小与島の人。小与島は与島のすぐとなりある島なのだが、定期船はないので、自分で船で渡ってくるしか方法はない。サブちゃんは小与島の最後の石工さんで、小与島の最後の島民でもある。体は大きくて、それこそ大きな石のような、静かでドーンとしていて、やさしい雰囲気を持った人。石の話をする時が一番輝いている。小与島に住む、サブちゃんとサブちゃんの奥さん2人で、毎回〈そらあみ〉を編みに来てくれた。

 

島に人が訪ねてくることはほとんどない。誰かが来ると犬が吠えるから、すぐに分かると言っていた。サブちゃん夫妻がいなくなったら、小与島は無人島になる。籍を残している人はもう少しいるそうだが、実際に住んではいないのだそうだ。年を重ねたということもあり、石の仕事も数年前にやめた。採石場は海面よりも深く掘られており、そこに雨水が溜まって溜池のようになっている。削り取られた岩山と、その深く広い穴を見ると、永い時と労力をかけて人が採石してきた凄まじさを覚える。

 

今は静かなサブちゃんの島も、かつては石と向き合う音で溢れていたのだろう。そして遠くない未来に小与島は本当に静かな島にもどるのかもしれない。

 

完成し与島で掲げた〈そらあみ〉の向こう側にそんな風景を見ていた。

 

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サブちゃんの背中。

 

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なんと!完成を祝してお昼に鯛めしを作っていただき、みんなで美味しくいただきました!最高に旨かったごちそうさまでしたー!!!

 

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となり同士をつなぎ合わせて一枚に仕上げます。

 

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こうゆうのがうれしい。

 

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みんなで設置。

 

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与島の〈そらあみ〉完成です!

実はこの中に富山の氷見での〈そらあみ〉中心メンバーの荒川さんがおります!なんと「瀬戸内でどんな風に編んでるか気になって来ました」とのこと。うれしいサプライズでした!!!日本海から瀬戸内海へ!これもまさに〈そらあみツアー〉ですね!!!