遺伝子を巡る旅。

9/15(日)瀬戸内国際芸術祭2019そらあみワークショップ最終日を無事に終えました。

 

秋会期の展示は本島。春から塩飽諸島14の島を巡り編んできた〈そらあみ〉。総勢500名以上が協働しました。9/21(土)の連結式で、各島々で編んだものが島の人と共に船で本島の泊の浜に集結しみんなで編み合わせ、高さ6.5m×幅120mの作品が完成します。

 

大勢の漁師さんが競い合うように編み進めた男らしい島もあれば、親戚家族の中に混ぜてもらうような穏やかな島もありました。隣の島でも、まるで人柄のように一つ一つの島に違った性格や雰囲気があったのがとても興味深かったです。

 

そしてそこには、陸にはない、島特有の時間が流れていました。

 

ワークショップ最後の島となった志々島は人口20名ほどの島。

 

95歳の富子ばあちゃんが90歳の孝子ばあちゃんの編む姿を眺めていました。「あんた、今朝はじめたころは、よう間違えとったけど、どんどん調子が出てきたのう。ほんま上手に編むのう。昔のことを思い出したんやろう。すごいなぁ。体はちゃんと覚えとるもんなんやなぁ」2人の姿はなんだか神々しく。しばらく言葉を失い、眺めていました。孝子ばあちゃんは元漁師。夫婦船で漁をしていました。志々島は半農半漁の島。

 

86歳のハルエばあちゃんの横で編んでいたら、ふと話かけてきてくれました。「網じゃゆうから、何か役に立てるかもしれんと思うてな。うれしくてな。いてもたってもおられんでな。楽しみに待っとったんや。うちはこんなんして網編むんが好きでな。ほんまに楽しいなぁ。」その言葉を聞いて、なんだか涙が込み上げてきたのです。編みながら心が震えていました。未来に伝えるべき大切なことがここにはあると再確認しました。ハルエばあちゃんも元漁師。35歳から75歳まで夫婦船で漁をして、網もよく編んで直していたそうです。

 

そらあみを編んでいると、指に食い込む糸の感覚や、聞こえてくる風や波や鳥の声といった音、交わされる会話や笑い、遥か古代から変わらない「編む」という所作から、自分の中に連綿と続く遥かな遺伝子を感じます。

 

「海の復権」をテーマとする瀬戸内国際芸術祭は、私の活動テーマである「海からの視座」に出会うよい機会です。

 

アートディレクターの北川フラムさんの言葉です。「瀬戸内国際芸術祭に来られる人の多くは都市からのお客さんです。都市は刺激と興奮に満ちており、大量の消費ができ、さまざまな情報でいっぱいで、若い頃には、それが魅力だったりしますが、すぐに、ただ情報に追われているだけだったり、市場による誘導に踊らされているだけなことに気づきます。

何よりも五感全開の人間的な活動ができていないことにがく然としてしまう。

多くの人は自然と、そこに包まれた生活に出会い、その時間の流れに浸りたくて瀬戸内にやって来ているのではないでしょうか。そこでの作品も、世界中の都市に置かれているものとは違って、海で繋がり、島で固有に育まれた参加性の高いものだから面白くない筈はない。

かつて、鳥が飛んでいくのを見、木の実が流れつくのを知り、人々は彼方に島があるだろうと、舟をくり抜き、丸太をつないで海に漕ぎ出しました。20万年前にアフリカ南部で誕生したホモ・サピエンス―私たちの祖先は冒険心いっぱいに世界に散っていきました。

あわよく着岸できた彼らは、掘っ立て小屋を作り、持ってきた木の実や植物の種を植え、生活をし始めます。私たちの祖先はすべからく船乗りであり、漁師であり、農民であり、大工だったのです。そういう遺伝子を巡れる旅が瀬戸内国際芸術祭の旅になっているのです。これが海の復権だと思うのです。」

 

私はかつて海へ出てこれらの感覚を知りました。2005年、約4ヶ月間ヨットで、日本からミクロネシアまで約4000kmの太平洋航海がそれでした。この体験が「陸の常識」から一度離れ「海からの視座」を得る機会となりました。

 

多くの方は、なかなか太平洋航海に出る機会はありませんが、アートをきっかけとして、瀬戸芸が現代人が自らのあるべき姿を問い直すきっかけになればと思います。

 

太平洋航海で学んだことですが、航海中、進路を決める時、海図に現在地(現代)を記し、出発地点からのこれまでの航路(過去)を確認し、そこから次の進路(未来)を決めます。

 

これから我々が進むべき未来を考えるには、まず我々がどこからきたのか?普段慣れ親しみ疑うこともない「陸の常識」から一旦離れ、我々の中に眠る視点である「海からの視座」を今一度持つことが大切だと思うのです。

 

陸から離れ、海へ出て、島を目指し、遺伝子を巡る旅をしてみませんか?

 

瀬戸内国際芸術祭2019秋会期は9/28(土)-11/4(月)。そらあみは、本島の泊海岸で瀬戸内海の移り行く風景を捉えます。

 

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95歳の富子ばあちゃんが90歳の孝子ばあちゃんの編む姿を眺めていました。「あんた、今朝はじめたころは、よう間違えとったけど、どんどん調子が出てきたのう。ほんま上手に編むのう。昔のことを思い出したんやろう。すごいなぁ。体はちゃんと覚えとるもんなんやなぁ」2人の姿はなんだか神々しく。しばらく言葉を失い、眺めていました。孝子ばあちゃんは元漁師。夫婦船で漁をしていました。志々島は半農半漁の島。

 

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86歳のハルエばあちゃんの横で編んでいたら、ふと話かけてきてくれました。「網じゃゆうから、何か役に立てるかもしれんと思うてな。うれしくてな。いてもたってもおられんでな。楽しみに待っとったんや。うちはこんなんして網編むんが好きでな。ほんまに楽しいなぁ。」その言葉を聞いて、なんだか涙が込み上げてきたのです。編みながら心が震えていました。未来に伝えるべき大切なことがここにはあると再確認しました。ハルエばあちゃんも元漁師。35歳から75歳まで夫婦船で漁をして、網もよく編んで直していたそうです。

 

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満潮を迎えた志々島の港。美しい佇まいの港でした。

 

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反物状に細長く編んだ網を編みつなげて最後の一枚を仕上げています。

 

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瀬戸芸ボランティアサポーターこえび隊のみなさん。最終日のメンバーはみなさん何度もサポートに来てくれたバッチリ編める心強いメンバーでした。本当にお世話になりました。

 

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塩飽諸島で出会う両墓制(遺骸を埋葬した葬地〈埋め墓〉のほかに、死者の霊をまつるために別に祭地〈参り墓〉をおく墓制)の埋め墓。小屋を建てるのは志々島独自のスタイル。

 

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志々島の大楠。

 

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とんでもなく大きく。樹齢は1000年以上。

 

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あまりの存在感にもはや木を超えて別の生物のように感じられました。

 

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大楠が1000年以上見続けてきた風景。両手を広げ海を抱くように立っていました。この大きな海と向き合って生きてきたから、こんなに大きく育ったのかもしれません。