いも太郎

 7月13日に開幕する展覧会「海風」に向けて、打ち合わせや制作などで毎日、千葉県立美術館に通っている。自宅も美術館も50年前につくられた、いわゆる埋立地に立っている。今回の展覧会のテーマは「かつての海の上である埋立地に新たな文化をつくる」とした。

 では、文化はどのようにしてつくることができるのだろうか?20年近くお世話になっている太宰府天満宮の先代宮司は「未来の子どもたちにどんな風景を残したいか、思いを馳せることが大事。今は自分の目の前のことしか見えていない人が多い時代だからこそ、尚更に思いを馳せることが重要」とおっしゃっていた。

 私はアートには人の心を動かす力があると考えている。そしてその本質は人と自然の関わりの術と捉えている。では人工物である埋立地に、人と自然の関わりはないのだろうか?この展覧会を機に、これまでの自分を振り返ってみると、残したい風景を探して遠くの豊かな自然や人との関係性を求めてずっと旅をしてきたのだと理解した。

 5月中旬、小学1年生の長女が公園で捕まえた芋虫を4匹連れて帰ってきた。大きさは4匹まちまちだが、全員「いも太郎」と名付けられた。いも太郎たちは毎日モリモリ葉っぱを食べる。すぐになくなってしまうので、餌取りの手伝いに公園のみかんの木まで連れていかれる。こんなところにみかんの木があったなんて!彼女はどうして知っているのだろう?「ここに、いも太郎がいたんだよ」と教えてくれる。私は彼女のおかげで自宅から一番近いみかんの木の場所を知った。

 ところがすぐに関心がなくなり、結局、妻が世話をすることになるのだが、「うんちの大きさが違う」とか「体の色が黒から緑に変わったよ!」とか、日々のいも太郎の変化をとても楽しそうに妻はみんなに伝え、時間があれば何かと虫かごを覗き込んでいた。

 いも太郎たちはそれぞれのタイミングで蛹になり、最初の1匹は夜に羽化し立派なアゲハチョウの姿を見せてくれた。長女がその姿を描く。「動いて見えにくいから持っていて」と頼まれ、終わるまで虫かごを見やすい位置で持つ助手を務めた。翌朝、ベランダから逃すと、手を離れ空に舞い上がった瞬間、大きな鳥がパクッと咥え飛び去ってしまった。「、、、いも太郎、絵にしておいてよかったね」「うん」。

 次に羽化した1匹は、花の蜜を吸うことなく死んだ1匹のようにならないよう、登校前に公園に連れていって花に乗せ逃した。「ちゃんと花の真ん中にしないと蜜が飲めないよ」と伝えると、「これ以上強く持って引っ張れない!羽、取れちゃいそう!」長女は指先でアゲハチョウの繊細さを感じ取っていた。無事に逃したあと、手についた鱗粉を気持ち悪そうに必死に払っていた。残りの2匹は蛹のまま死んだ。

 いも太郎たちと過ごした1ヶ月、我が家には自然のたくましさや残酷さなど、美しい瞬間がたくさんあり、その関わりの中にいた。残したい風景は、自然との関わりや、心を動かす出来事は、遠くの豊かな自然や暮らしにしかないのだろうか?

 この世界を楽しもうとする感受性と眼差しさえあれば、埋立地にも文化をつくっていくことはできるのではないだろうか。