「そらあみ-浅草神社-」初日

三宅島からもどって中2日。GTS(藝大・台東・墨田観光アートプロジェクトhttp://gts-sap.jp/)「そらあみ-浅草神社-」の初日である。現場から現場へ、息つく暇もない。体はしんどいが、ありがたいことである。

 

現在年間3000万人の観光客が訪れる浅草は、網なくしては語れない土地であることをご存知だろうか。遡ること約1400年前の飛鳥時代、浅草地域一体は海にほど近い川の河口であった。

 

推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはなまり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも、漁網で一躰の観音様のご尊像を感得したところからはじまり、土地の物知りであった土師真中知(はじのまなかち)によってこれが観音様であることを告げられた。今回「そらあみ」を行う浅草神社には、この3人が御祭神として祀られている(三社様)。広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村に過ぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、現在に至るといった歴史がある。

 

そして、なんと浅草神社の社紋は「三編み紋」といい、その3人をイメージした3本の柱に網が吊るされたデザインなのである。

 

このプロジェクトでは、会期中、参加者が網を編む姿は、かつて漁村だった頃の浅草の原風景であり、そこから生まれる景観が、浅草のはじまりを見つめ直すきっかけとなって、2人の兄弟と土地の物知りの3人が観音様と出会った時のように、現代社会に生きる人にとって、自分なりに観音様を問い直す新たな入口になることを目指す。

 

現在、観音様は御秘仏をなって見ることができない。そらあみはむこうに透けて見える風景を問い直す、窓のような役割をはたす装置である。浅草で編まれるそらあみのむこうには、神社やお寺以外にも、高層ビルなんかも見え、現在の浅草の風景がある。そのもっと先にはいったい、何が見えるのだろう。現代社会を生きる人にとっての観音様はいったい何なのだろう。大切なものは目には見えない。日本人は目には見えないものを大切にしてきた。その精神性を問い直そうというのである。

 

初日である今日は「たけたて」と題し、空に向かって網を編んでいく支柱となる竹を浅草神社の境内に立てた。浅草の印象は、とにかく人が多い。島民2700人の三宅島から帰ってきたばかりの自分は、その人の多さと流れに圧倒された。平日なのにこんなにたくさん、いったいみんな普段何をしている人なのだろう。まぁそれは、自分にも同じ問いが返せるか。

 

立った竹にさっそく人が近づいてきて眺めている。観光客らしき人が「立派な竹ですね、お祭りか何かですか?」と言いながら、竹を撫でている。

 

今日10月25日から11月11日までの18日間、かなりたくさんの人と出会うことになるだろう。ほとんどが観光客だろうか。どれくらい、浅草の地元の人と会えるだろうか。そして一緒に編み浅草のはじまりを想い、編みのむこうを考えることができるだろうか。

三編み紋

奥が浅草寺で、そのすぐ横に浅草神社があります

朝7時に竹が到着

三編み紋の形に竹を加工。編みを上下させるための滑車も取付けます。

1本ずつ立てていきます

立った3本の竹を横の1本の竹でつなぎ安定させます

明日から編むための編み紐を絡まらないよう丸くします

無事に「たけたて」終了。境内の変化を狛犬が眺めているようです。

赤と黄色の編み紐だけどうしても手に入らなかったので、深夜遅くまで染色作業をしました。