今日はうれしい再会があった。朝10時、自分に網の編み方を教えてくれた、言わば師匠である“じい”がそらあみを見にきてくれたのだ。この人との出会いがなければ“そらあみ”は生まれなかった。
出会いは去年の6月に遡る。三宅島大学のリサーチメンバーの1人として一週間ほど島に滞在した。その時、島のベテラン漁師として知られる“じい”と出会う。他のリサーチャーが島内を巡っている中、自分は滞在期間中、毎日じいの船小屋に通い、ひたすら網の編み方を習った。どうにか出来上がった網は50㎝四方の小さなものだった。網を編む所作とそこに流れる時間に可能性を感じた。その後、ワークショップスタイルで多くの人が参加できる、空に向かって網を編む“そらあみ”を考案し、京都府の舞鶴、岩手県釜石市の仮設住宅にて展開し、今回、はじまりの地である三宅島にもどってきたのだ。
三宅島で“そらあみ”をすることは自分の中では、“じい”への報告というのが大きな意味を占めていた。ところが、都内での事前打合せの際、その後“じい”の体調が急に悪くなり、もしかしたら会うことができないかもしれないと聞いていた。それでも、どうしても報告がしたかった。そして、見てもらい自慢したかった。
なので、“じい”の突然の訪問はとても嬉しかったのだが、実際に来てもらうと、再会の喜びと共に、師匠に見てもらうという緊張感も生まれた。
まずは、がっちりと握手、一時は36㎏まで痩せて情けなかったと話す“じい”は、確かに小さくなったように見えたが、漁で鍛えられた分厚い手のひらと、優しさの奥にある逞しい眼光は、あの時と変わらないものだった。ちなみに、現在、病状は落ち着き、体重も増えつつあり、回復に向かっている。
網を広げて、見てもらった。“じい”は手を伸ばし、網を掴み、少しだけ引き寄せ、一目一目、じっくりと見てくれた。じいは「あの時、編めたのはこんなに小さかったのにな」と指で四角を描き、笑顔を見せてくれた。そして「上等、上等」と一言。この一言が本当に嬉しかった。なんだかやっと一息つけて、ほっと胸をなで下ろした。
そして、“じい”に習った網が、“そらあみ”となり、いろんな土地の人と網を編み、人が交流する場となった、という話をした。じいは何度か頷いてくれた。そして、どこの土地の漁師さんも同じ編み方で、網を編むことで知り合うことができたと話すと、じいは「三角の網はないからな。網はみんな四角だからな」と、指で三角を作って笑顔で言った。
「じゃあ、じいは海に(釣りに)いくから。時間があったら、あの場所においで」「はい。ありがとうございました」
じいを見送ったあと、網と幸せな気持が残った。こうして、直接会って、目の前の網を介して報告できたことが何より有り難かった。
自分がじいから受け継いだものは、網の編み方と、そこに流れるあの豊かな時間である。魚を捕らない空にかかった網は、その土地の風景と、流れる時間と、人の心をつかまえる。
網を広げる弟子と、見つめる師匠
師匠の目が光る
あれからを報告中
これからを確認中
突然「おーい」と呼ばれ、船に近づくと、サワラを釣って海からキタガワさんが帰ってきた。自然と「お帰りなさい」と声が出る。
氷を積み込んでから、もう一回行ってくると言って、飛び出していった。自然と「いってらっしゃい」と声が出る。
ここまで延ばすことにしました
最近、よくこの鳥がやってきます。鳴き声がかわいらしく、どうやらカップルのようで、よくおしゃべりしてます。
美しい1日でした