“そらあみ”のこれまでとこれから

三宅島大学そらあみづくり体験講座最終日は発表会という形で締めくくった。最初は本校舎にて、このブログをプロジェクションし、20日間の三宅島での滞在活動の報告を行い。その後、本校舎から約5分程度の距離にある中桟橋へ、角度や距離によって見え方の変わる“そらあみ”を眺めながらお散歩するといった流れで約2時間の講座を行った。参加してくれた島の方々や、今朝到着した東京文化発信プロジェクト室の方々などの皆さんにお集りいだだき、天気も良く、和やかな雰囲気で発表会は行われた。

 

「三宅島はどうだった?」その質問に対して振り返る。

 

“そらあみ”の今までの流れとこれから(0.三宅島→1.舞鶴→2.釜石→3.三宅島→4.浅草)を考える。

 

(0.三宅島)去年6月のリサーチプロジェクトで三宅島に行っていなかったら今の“そらあみ”はない。島のベテラン漁師である“じい”から習って最初に編めたのは50㎝四方程度の小さな網だった。この時は、基本的な編み方を学び、実体験を通して網を編む行為が参加型アートプロジェクト(ワークショップ)として機能する可能性を感じていた。

 

(1.舞鶴)それを京都の舞鶴にて、ワークショップ形式で空に向かって1枚の大きな網を編むというスタイルとして確立した。編まれた網は、現地で行われていた「種は船〜航海プロジェクトfrom舞鶴」の中で、風の抵抗を受けずに種の形をした船のフォルムを出す役割を担った。その時は、風は受けないが、参加者の想いを受けて力に変える帆のような存在に感じた。網は、現在、水と土の芸術祭に展示してあるTANeFUNe(朝顔の種の形をした船)の一部として展示されている。

 

(2.釜石)その後、岩手県釜石市の仮設住宅にて、津波で船を流され漁に出られない漁師さんや、仮設住宅で暮らす方々と“そらあみ”を行った。この時は、元々は別々の場所に住んでいた人達が、網を編むという共同作業を通して、開かれた場が生まれ、最終日には漁師さんが用意してくれた魚を、お母さん達が調理し、その仮設住宅では初めての宴会が開かれ、互いに互いを支えるための人のつながりが生まれた。この時編まれた“そらあみ”は、現在もその仮設住宅のシンボルとして設置されている。

 

(3.三宅島)そして今回、自分が網と出会った地である三宅島で“そらあみ”を行い、いくつかのことを確認することができた。まずはじめに、師匠である“じい”にこれまで各地で展開したそらあみの報告ができたことが、重要だった。そしてそれは島で習った網を“そらあみ”にして島に返すという、島への恩返しでもあった。

 

はじまりの地、三宅島にもどり、改めて確認できたことについて書こう。阿古漁港の中桟橋で行うことで、漁港という漁師専門の場所が開かれ、海に生きる漁師と、観光客や島民といった参加者が直接交流する場が生まれた。また、三宅島では360度ぐるりと“そらあみ”と、その向こう側に見える風景を重ねて見ることができるロケーションだったので、歩きながら眺めてみると、見る角度によって色濃く見えたり、透けて見えなくなったりと見え方が変わり、土地の風景とぶつかる部分の色によって風景に馴染んで消えたり、逆に浮かび上がったりと、不思議な見え方をしていた。それはまるで、あるのになくてないのにある“虹”のようで、魚を獲らないそらあみは、土地の風景をつかまえるための網のように感じられた。さらに、毎日スカリ(網袋)を編んでいる89歳の“おおじい”と出会い、網を編む理由は、海辺伝いに広がり、海辺で見て覚えて継承されてきた、網を編むという所作を通して、遥か昔の海辺に想いを馳せることができ、網を編んだ記憶を介して、その時の土地とつながりを感じることができるのだと思えた。

 

“そらあみ”は土地を開き、場をつくり、人をつなぐ

“そらあみ”は土地に入り込み風景をつかまえる

“そらあみ”は土地の記憶を呼び起こす

 

舞鶴→釜石→三宅島という流れと各土地での機能の仕方から、自分の中で“そらあみ”の成長を感じている。

 

“そらあみ”越しにこの世界を見ると、世界は少し違って見える。本当に大切なものは目には見えない。“そらあみ”は、見えないものや見落としているものへ意識を向け、それらを見ようとするための窓のような存在である。

 

三宅島では11月の終わりまで設置しておく予定である。“そらあみ”と対峙する時は網の向こう側の世界を意識して、楽しんでもらいたい。

 

(4.浅草)そして、この後すぐに浅草神社で10月25日から11月11日まで“そらあみ”づくりを行う。浅草神社の社紋は“三つ編み紋”と呼ばれ、網がモチーフとなっている。浅草神社は浅草寺のすぐ横にあり、三社祭で有名な神社である。浅草寺に祀られている観音様は今から1400年前の飛鳥時代、まだ浅草が海にほど近かった頃、あの辺りは漁村で、2人の兄弟漁師が網で漁をしていたら観音様が網にかかってあがり、それを土地の見識者に見せたところ、これは大事にしなければならないと言って、祀ったところ、観音様に出会いに徐々に人が集まるようになり、今や年間3000万人が訪れる現在の浅草になった。その兄弟と見識者の3人を祀ったのが浅草神社であり、その三人が三社(さんじゃ)さんである。網なくして今の浅草はない。浅草は網との縁を切っても切れない土地ある。その浅草神社で“そらあみ”をすることでどんな発見と出会い、作品としての成長があるのか、新たな挑戦がはじまる。

 

三宅島で網に出会い、舞鶴で人の気持を受け走る帆になり、釜石で人をつなぐ場となり、三宅島にもどり世界の見え方をずらす窓となった。次は浅草神社、神社は日本人の精神文化をつないできた場所である。神社の次は世界を意識する。世界は海でつながっている。網は海伝いに広がってきた。網もまた世界とつながっている。

 

“そらあみ”は土地との出会い、人との出会いを重ね、確実に成長していっている。ここでの20日間のトライアルはこれで終了。三宅島という土地と、島で出会った、たくさんの一人一人に感謝している。

そらあみの前で、発表会に集まってくださった皆さんと記念撮影

快晴でした!

11月の終わりまで設置しています

点が線でつながり、面になりました。点から線、線から面。一次元から二次元、二次元から三次元。そのむこうに時間が流れています。

三宅島の夕日とそらあみ。いざ浅草へ