定置に乗らないか?

日曜日の昨日とは打って変わって静かな月曜日。そらあみの制作現場である阿古漁港の中桟橋もちらほらと漁師さんの姿を見かける程度の1日だった。

 

「おい。進んでんのか?」遠くから声がした。係留用ロープの修復作業をしている漁師さんからだった。はじめて話す漁師さんから声をかけてもらった。毎日、ここにきて網を編んでいる姿を見てくれていたというのがよく分かる瞬間だった。嬉しくなったので、近づいて話をした。

 

五十嵐:「はい。だいぶ網が大きくなりました。今週末で完成する予定です」

漁師さん:「三宅にきてどれくらいになる?」

五十嵐:「10月2日に来たんで、2週間くらいです」

漁師さん:「普段は何してんだ?」

五十嵐:「あちこちの土地にいって、こういったことをしています」

漁師さん:「フッ(笑)それで飯食えてんのか?」

五十嵐:「どうにかこうにか」

漁師さん:「定置(定置網の船のこと)に乗るか?」

五十嵐:「ええ!?乗っていいんですか?」

漁師さん:「おお、いいよ」

五十嵐:「自分で役に立つんですかね?」

漁師さん:「………」

 

確かに、今日までの間にも他の漁師さんから「定置の網、編んでくれたらいいのに」と何度か半分ちゃかされながら言われたことがあった。おそらくではあるが、毎日網を編んでいたから、多少使えると思ってくれたのかもしれない。“半農半芸”という言葉を聞いたことはあったが、“半漁半芸”もありかもしれないな、島暮らしかぁ、悪くないな、などと一瞬妄想にふける。

 

少し定置網の話を聞いた。三宅島の定置網は、現在、陸に上がっている。台風で壊れてしまうからである。そして、毎年、台風は22〜23号くらいまで来る。今20号くらいだから、もうすぐ、網を入れることになるそうだ。意識したことはなかったが、確かに、多少増減はあれど毎年台風は23号くらいまでだったような気もする。そして台風シーズンが過ぎると風は西風になるそうだ。さらに風の話をすると、今日のような北東の風は夕方にはおさまるとのこと(夕方に風がおさまり、本当にその通りで驚いた)

 

しばらくするとベテラン網漁師のクニさんがやってきた。いつも黙って網を編んでくれ、時間がくると「温泉に行く」といって帰っていく。三宅島でのそらあみの日々の現場はクニさんに支えられている。実はクニさんは三宅島出身ではない。昭和30年に式根島からやってきた。目的はテングサ漁である。その頃、三宅島はテングサのゴールドラッシュのような状態で、各地からテングサ漁を目的として、人がたくさんやってきたそうだ。当時、テングサの価格は大変良く(なんでも朝鮮戦争で必要とされたとか?傷の手当に使ったとか、火薬の原料になったとか、ほんとかウソかは分からない)、役人の初任給(当時は6000円)を1日で稼いだそうだ。子供4人をテングサで大学まで行かせた。ここらにあるのはテングサ御殿だ。なんて話もある。テングサ漁が盛んだったのは本当の話で、今も三宅島の海辺には砂利が敷き詰められた広い場所がいくつもあるのだが、そこはテングサの干す場所として人工的に作ったとのこと。

 

なので、「役人なんて、当時は馬鹿らしくてやってらんないよ、でも今は、役人しておけばよかった」とクニさんは笑いながら語る。そして当時、三宅島でテングサ漁をするには住民票が必要だったから、クニさんはそのまま三宅島に住むようになったそうだ。

 

島に住むようになる理由は人それぞれである。もしかしたら網きっかけで住む人もこれから出てくるかもしれない。

 

“そらあみ”は週末の完成に向けて、細長く延びた部分をつなぎ合わせ1枚になりつつある。

話かけてくれた漁師さん。係留用ロープの補修作業中。

だいぶ大きくなりました。細長く編んだ網を1枚につなぎ合わせていきます。

今週末、この空間に網が吊られます

三宅島、阿古漁港からの夕日。三本岳が見えます。とても良い釣り場だとか