所作と所以

朝起きると、曇りガラスの窓の向こうに青空があるのが分かった。思わず窓を開ける。ビュー!っと風が吹き込んできた。まだ、台風の吹き返しが残っているようである。しかし、思ったよりも台風は早く通過したようで、朝から空は真っ青で清々しい。風さえ治まれば最高の天気である。

 

午前中は室内作業をし、風が治まるのを待って、昼過ぎから阿古漁港中桟橋へ移動し“そらあみ”を編んだ。風は多少残っていたが、徐々に弱まっていくのが感じられたので問題ない。なんだか久しぶりの雲1つない青空で気持がいい。昨日到着した塩野谷くんに網の編み方を伝え、共に編み進めた。

 

日が陰る少し前にクニさんがふらりと現れた。クニさんは網専門の漁師で、言わば網を編むプロである。そして、なおかつ元組合長でもある。港の漁師さん達からの信頼は厚く、阿古の港の“おおじい”といった存在である。今も港にはクニさんの船があり、港に来ることがクニさんの日常のように感じている。何度も、いや、毎日のように、一緒に網を編んだが、クニさんとはいつも、「明日、何時に編みましょう」といった約束などしない。いつもふらりとやってきて、ものすごいスピードで編んで、切りの良いタイミングがくると、「温泉に行く」といって帰っていく。そんな関係だ。

 

この時、塩野谷くんは初めてクニさんの編み姿と出会うこととなる。編み方を習ったばかりの彼にとって、クニさんの手際の良さと、その無駄のない正確な所作の見事さは、自分で編んでみて、初めて、そのすごさが分かったと言っていた。網を引き適度なテンションをかける足の使い方。編み針を返しつつ紐を送り出す右手の動かし方。編み紐をつまんで結ぶ位置を調整する左手の動かし方。それら全ての動きを連動させる上半身の、細かく左右に揺れるリズムの作り方。圧巻である。しばらく、クニさんの編み姿を1つのパフォーマンスを眺めるように真剣に見つめる塩野谷くんの姿があったのが印象的だった。そりゃそうだろう。それなりに編む経験を積んだ自分の4倍速くらいで編み進めていくのだから、、、。“漁網を編む”という修練の積み重ねは、やがて、当人が無意識のうちに、人を引きつけるほどのパフォーマンスとしての力を持つものとなったのである。

 

しかし、その所作はどこから生まれたのだろうか。編み方をどこで習ったのですか?と漁師さんに聞くと、皆必ず「見て覚えた」という。遥か昔に世界のどこかの誰かが魚を獲って生きるために網の編み方を考え出し、それを見た別の漁師が網の編み方を見て覚え、それが海伝いにどんどん広がり、網は世界中に長い時間をかけて“見て覚える”を繰り返しながら広がっていったのだろう。

 

その土地の環境で生きるために修練された日常生活の所作から、網という造形物や、編むという動きの型が生まれ、その制作であり労働環境から労働歌や合の手が生まれる。そして、それらはさらに結晶化され、民芸品や美術作品、舞踊や祭踊り、民謡や歌、といったものになっていった。そしてそれらは現在、伝統工芸、伝統舞踊、古典芸能と言われるような文化の遺産となっている。環境が所作を生み、所作が文化を生む。そしてそれらが土地の所以を物語るのである。

 

“そらあみ”では編むワークショップでコミュニケーションをとりながら、更に体を動かし土地の所以を伝える。文化を遺物にすることなく、現在進行形の表現として、心身ともに体感することを目指す。

台風一過

雲が1つもありません

はじめて網を編む塩野谷くん

所作を観察する

所作をまねる

所作を修練する