プロジェクトの構造

今日は、時代祭り(雷門前の通りと馬道を通行止めにして、甲冑を着た人が歩いたり、浅草の他のお祭りなどの伝統的な衣装で、山車に乗った楽隊と共に練り歩くお祭り)と七五三シーズンの週末が重なり、朝から浅草はたいへんな賑わいであった。

 

そらあみが行われている浅草神社にもたくさんの人がやってきた。そらあみを見て、通りがかりの人から「これって時代祭りのやつですか?」という質問が、昨日から何度かあった。他には、七五三に来た子供がそらあみを見て惹かれ、着物を着たまま参加し、その子の周りで両親が温かく見守り、我が子が編んでいる姿を写真に残すといった様子があり、まるで、網を一編みすることで良縁をつなぎ、健康に育ち長生きを願うという風習が昔からあったような不思議な状況も生まれた。更には、網を体の悪い部分に擦り付けて、厄除けしたり、お賽銭を残す人までここ数日の間に出会った。そらあみがここにあり、作られている状況が当たり前のことと、勘違いしそうになるほどである。こんな風に土地の風習は生まれるのかもしれない。これらの出来事は全てそらあみがあるから巻き起こっている現象である。

 

サポートスタッフの塩野谷くんとこのプロジェクトの構造について面白い話をした。現在、浅草神社にある“そらあみ”は鳥居をくぐって、本殿に向かって真っすぐ参道を歩くと右側にあり、参拝を終え振り返り、鳥居に向かうと今度は左側に見える。この関係は美術館によくある風景と似ている。浅草神社を美術館に例えると、鳥居は入口の扉で、参道は美術館でいう動線の役割を果たしている。参拝者は参道以外を歩いても良いのだが、ほぼ全ての人が参道を歩いて来て、参道を歩いて帰る。作品を見て帰るという関係である。しかし、そらあみづくりに参加するには動線である参道から外れないといけない。そこにはちょっとした意志が必要となる。関わろうという意志である。この時、参道から外れ、そらあみに関わる参拝者は見る側から見られる側に変わる。そう考えると“そらあみ”が編まれる現場はまるで演劇の舞台装置のように見えてきて、そこに登場する参加者はまるで演者のように思えてくる。10月25日に竹を立て舞台装置が立ち上がってから10日。徐々に縁者は増え、出入りを繰り返し、網が編まれ広がると同時に、現実世界の生活の時間の中に物語が展開していっている。そうして編まれた網は最終的に、後ろの風景に馴染んで透けたり、反発して透けなかったりといった網による視覚的効果で、周りの風景と呼応する窓であり、絵画作品のようなものとなる。

 

今まで“そらあみ”を行ってきた土地では制作過程に於いて“見る側から見られる側へ”といった演劇的関係は、意識すればないこともないが、それほど分かりやすく成立していなかった。参拝者の多い神社という環境と、そこにある参道という動線が、演劇的空間として網を編む現場を浮かび上がらせたのだ。制作過程に於いても、網越しに社会を眺める窓的要素を持つ“そらあみ”という出来上がった作品に於いても、見る場所であり見る側の動線を決めるというのは、今回は今までの現場経験からくる勘で上手いこといったが、これから先もっと意識するべき部分であることを再確認した。

 

そらあみのプロジェクト構造は、はじめに仕掛ける側の我々が土地に入り網を編む場を設定しフレーム(演劇でいう舞台。絵画でいう額縁)を用意する。次に日常生活の中の演劇的空間として参加者が演者となり網が編まれていく。そして最後に土地の風景と反応する窓的役割を果たす絵画作品が出来上がる。ということである。

 

これまでに各地で行い、出来上がった“そらあみ”は全て平面(絵画)であった。そういった意味では今日でほぼ編み上がったので、今までの感覚だとほとんど完成である。しかし、今回は次なる発見への興味として、“そらあみ”を少しでも立体にすることに挑戦してみようと思っている。絵画から彫刻へ。

朝10時でこの様子

おお!背中には三編み紋が!

龍も来ました!

お昼にはたいへんなことに

健康祈願?

ご家族で糸球をつくってくれました

良縁祈願?

近くは演劇的空間が広がる

入口(鳥居)と動線(参道)と絵画(そらあみ)の関係