“編む”は“すく”で“こま”は“けた”

沙弥島滞在2日目。まずは一緒に網を編んでくれる漁師さん達に会いに行かなければならない。とはいえ、いきなりはまずい。ちゃんと通すべき所に筋を通さなければならない。どこに通さなければならないか。それは、漁師さん達の取りまとめである漁業協同組合である。今回そらあみを行う5つの島(沙弥島・瀬居島・与島・岩黒島・櫃石島)は与島漁業協同組合が各島を取りまとめている。そして更に坂出市の他の港も含めた全体を統括する坂出市漁業協同組合がある。その2つの漁協にご挨拶に伺った。

 

10:30に滞在先である坂出市海の家(沙弥島)を出発し、11:00にまずは与島漁業協同組合へ。組合長の久保さんと、参事の高嶋さんにご挨拶し、そらあみの内容を伝えた。いろいろな話になったが、組合長の久保さんが一番最初に気にしてくれたのが、設置場所である沙弥島海水浴場の風の心配である。

 

久保さん:「あそこは西風が強いからな」

 

別名、西ノ浜と呼ばれるその場所は、西向きに開かれた海岸で、この辺りの冬場は西の風が強いのである。網は風を通すとはいえ、それなりに抵抗を受ける。網をつり上げるポールを設置する際、十分に安全な強度が必要となることを再確認した。

 

さらに、風の話をしてくれた。ここの海には“彼岸の風”と呼ばれる毎年3月23日前後に必ず一発吹く風があるそうで、その風に気をつけることと、もう1つ“八十八夜の風”と呼ばれる5月2日前後に必ず吹く風もあるとのこと。

 

久保さん:「なんでか分からんけど毎年吹くんや」

 

毎年いつ風が吹くのかを知っているのもすごいが、その言葉に、海を常に意識し、海と共に生きてきた人の重みを感じた。漁師さんは命を海にさらして生活をしている。なので海の話は自ら経験したことしか話さない。だからこそ、この情報は非常に重要なのである。

 

そして網を編む話になった。ところがいまいち久保さんの話が理解できない。いや理解できなかったのではなく、分からなかったのだ。話ながらのジェスチャーでは網を編んでいるのだが、聞いたことのない言葉がやたら出てくる。「そんで、ここの網と、ここの網は、どう、すくんや?」。

 

すく………?

 

五十嵐:「久保さんすいません。“すく”って何ですか?」

久保さん:「“すく”って、こっちの言葉で編むことや」

 

そうなんです。なんと、ここ坂出の漁師さんは網を編むとは言わずに“すく”と言うのです。これも非常に重要な言葉との出会いでした。ここ坂出ではこれから漁師さんと話す時は“編む”ではなく“すく”でいこうと思う。ここ坂出では“そらあみ”は“そらすく”もしくは“そらすき”と呼ぶべきなのだろうか?などと考えるのだった。

 

久保さんとの出会いで、彼岸の風と八十八夜の風という風の知識と、“すく”という坂出の漁師さんとの共通言語を1つ手に入れることができました。これから土地に入る自分にとって共通言語は非常に重要です。感謝です。

 

ひとしきり話をしたあと「これからよろしくお願いします。」と挨拶し与島漁協を出た。

 

昼食を取り、13:00に坂出市漁業協同組合へ。事務所に通してもらい扉を開けるとそこには恵比寿様と見紛うばかりの立派な白髭を携え、浅くニット帽をかぶった方が座っていた。その存在感にまず衝撃を受けた。この方が組合長。名詞を交換。名前に目をやるとさらに衝撃が!その名もなんと!「蛭子」なのである。この瞬間、蛭子組合長は自分の中で恵比寿様にしか見えなくなったのであった。生きた恵比寿様に会うのは初めての経験だった。

 

蛭子さんは82歳。じっくりとそらあみの話を聞いてくださり、穏やかに網を“すく”話となった。久保さんに教えてもらったので“すく”にはもう驚かない。が、今度は蛭子さんの話の中に“けた”が出てきた。

 

けた………?

 

五十嵐:「“けた”って何ですか」

蛭子さん:「“けた”って、ほれ、この」といって、人差し指を親指をくっつけた状態から5㎝くらいの所まで離して止めた。

 

あ!!!分かった!!!“こま”のことだ!!!

 

“こま”とは網を編むときの網目のサイズを決めるガイドのことで、その多くは竹を削って、それぞれの漁で使用する網に合った、必要な網目のサイズのものを漁師さんが自分で作って持っていることが多い。ちなみに“こま”という言葉は、自分が初めて編み方を習った、そらあみはじまりの地、三宅島でそう呼ばれていたから、自分も“こま”と呼んでいる。もし坂出で習ったら自分は“けた”と呼んでいたのだろう。

 

そして蛭子さんから「結びは“かえるまた”か?」と聞かれた。おお!!どうやら「かえるまた」は「かえるまた」で全国共通のようである。ちなみに“かえるまた”は網を編む結び目の呼び名である。カエルの股=肛門に似ている。という説と、海へ漁に出てもちゃんとまた帰ってくるようにという願掛けと、2つの説を自分は聞いたことがある。

 

今まで京都の舞鶴、岩手の釜石、三宅島、浅草神社で網を編んできた。その土地で出会った漁師さんと網を編んできた。編み方は一緒である。網が編めれば、どこの海辺にも入っていける。

 

海で日本はつながっている。網でも日本はつながっている。言葉の違いは誇るべき文化の差異である。

 

打合せを終え、14:30に高松空港に到着するプロジェクトスタッフの2人(塩野谷くんと飯高さん)を迎えに行った。今夜からは少し賑やかになる。

恵比寿さんにそっくりな蛭子さん