さつまにする

沙弥島滞在42日目。多度津の金子商店にお願いしていた滑車が入荷したと連絡があったので、朝一で取りに行こうと車で海の家を出発すると、沙弥島の港の前に、高尾自治会長と山本副自治会長の姿があった。車から降りて、朝の挨拶。

 

五十嵐:「おはようございます!」

高尾自治会長:「おはようさん。どこいくん?」

五十嵐:「金子商店に滑車取りに行きます」

高尾自治会長:「おお!多度津の金子か!」

五十嵐:「ああ!このあいだ行った時に、高尾さんの話したら、知ってましたよ」

高尾自治会長:「そうやろ。あれの父ちゃん代から付き合いじゃからの」

五十嵐:「女の人がいたんですけど、、、。」

高尾自治会長:「それは嫁さんやろ。あと若い娘もおったろ」

五十嵐:「はい。いました。娘さんなんですね」

高尾自治会長:「そうじゃ。あそこは昔から家族でしとるからの」

五十嵐:「あと、施工が少しずつ始まっていて、週明けの月曜日には網を吊る支柱が立ちそうです」

高尾自治会長:「なら、ロープを継がんといかんな」

 

5つの島で編まれた網は、それぞれにロープを軸に編んでおり、今はバラバラの状態になっている。最終的には、1枚の網にするため、ロープも1本に繋ぎ合わせなければならない。

 

そうなんです。切れたロープは編み込むように繋ぎ合わせることができるのです。そして、その作業は素人には難しいが、漁師さん達にとっては朝飯前。ということで、急遽、沙弥島の皆さんがロープをつなぎに来てくれることになった。

 

自分は一度、多度津の金子商店まで滑車を受け取りに行って、あとで合流することになった。

 

もどって来た時には、ほとんどのロープはみごとに繋ぎ終わっており、ちょうど最後の1本をつなぐ所だった。手元を見ていると見事である。ロープが気持良さそうに繋がれていく。ロープの中にロープが編み込まれていくのである。繋がれた部分は太くなるが、そのままロープとして機能するのである。糸もロープも漁師は無駄にしない。見事である。自分たちだけだったら、ロープをまるごと差し替えていたかもしれない。

 

技術と知恵は本当に無駄を省くのだと、実感させられる姿であった。

 

網(あみ)もそうだが、ロープや綱(つな)といったものは、遥か古代の人が考えだした知恵と技術の結晶である。さらに、それらは世界共通の技術でもある。言葉が分からなくても、網を一緒に編んだり、切れたロープや綱を同じように継ぎ直すことができる。言語を使用しなくても、網や綱でコミュニケーションがとれるのである。絵や音楽やスポーツにも似ているように思う。世界は海でつながっている。世界の海辺には間違いなく、網があり、ロープがある。そして漁師がいる。

 

世界中で“そらあみ”を編んでみたい。これまで、日本では日本海(舞鶴湾)、太平洋(三陸海岸・三宅島・東京湾)、そして、ここ瀬戸内海で“そらあみ”を編んだ。インド洋などアジアの海、ペルシャ湾や大西洋、地中海にヴェネチア、フロリダ湾にカリブ海、アフリカの海に南米の海、などなど、きっと面白い漁師がいて、魅力的な歴史があり、そこには海と空があるのだろう。思わず夢が広がってしまう。

 

網を編める人も、ロープを継げる人もこの世界には減りつつある。が、決して無くなることはないであろう。根源的な技術の1つである。人類の知恵の証である。そして、空と海が世界とつながっているように、この技術と船があれば世界中どこにでも行ける。

 

そういえば、ロープを継いだ状態にすることを、沙弥島の漁師さん達は「“さつま”にする」と言っていた。その由来は分からない。太くなって、さつま芋みたいに見えるからなのだろうか?それとも、海の上で、腹を空かせた船乗りがロープを継いでいて、さつま芋に見えたとか、、、。本当の由来は、以外とそんなところではないだろうか。日本のさつまを持って、世界中のさつまと見比べてみると面白いかもしれない。呼び名もきっと、バナナやトウモロコシなど、いろいろあるのだろう。

 

作品設置場所である。沙弥島海水浴場(西の浜)では、網を掲げるための施工作業がスタートした。いよいよ、瀬戸内の空に網を掲げる日も近い。

さつまにする

5つの島の7つの地区の網が1本のロープでつながった

支柱を立てる石に、下穴をあけています。

砂を掘って、支柱の土台を入れます。