網を通して見る空はつながっている

沙弥島滞在41日目。瀬戸内国際芸術祭の開幕である3月20日(春分の日)まで、残り12日。作品の最終調整やプレスに向けての内覧会などがあるので、3月16日に完成を予定している。なので、実際の制作期間は、残す所、あと一週間である。

 

そして、3月16日は、「そらあみ完成式」と銘打って、共に網づくりに参加してくれた5つの島の7つの地域の方々に集まっていただき、最後の仕上げとして、網を空に掲げ、島名と丸名(船名)の入った網針を自分の編んだ網の下に吊るしてもらう声がけをしている。

 

5つの島の中で、最後の網づくりの現場となった3月2日の櫃石島を離れてから、もう一週間も経った。網を編まなくなると、漁師さんと会わなくなる。それまでの一ヶ月間は、ほぼ毎日会っていたので、正直淋しい。というか、元気にしているだろうか?というか、3月16日の完成式のことを覚えていてくれているだろうか?いやいや、五十嵐のことすらも忘れてしまってやいないだろうか?みんな、毎日、海に向き合って、漁で忙しいし、きっと忘れた人もいるに違いない、、、そうならば悲しい。みんな完成式に来てくれるだろうか?恋愛話ではないが、会っていないと不安になるものである。

 

滞在先である沙弥島海の家のすぐ前にあるナカンダ浜に立つと、与島や岩黒島や櫃石島が見える(実際3つの島は重なって見えているから、本当に見えているかどうかは分からないのだが、自分は見えていると思っている)。島というのは近くて遠い。見えているのに、そこに行けない。

 

網を編んで知り合いになるまでは、知らない遠くの島だったのに、網を編んで知り合ってから、それぞれの島から顔が浮かぶ、自分にとって近い島になった。だから、そこに行けない今は、あんなに近くに感じていた島を、心が近いからこそ、距離を遠く感じてしまう。

 

そして間には海がある。こうして浜に打ち寄せる波は、この浜辺とあの島の浜辺をつないでいる。目の前の浜に、缶コーヒーの空き缶が流れ着いていた。櫃石島の漁師さんが休憩の時にタバコを吸いながら飲んでいたやつと同じ缶だった。絶対に違う可能性の方が高いのだが、なぜか、あの後手を離れ、ここまで流れ着いた物語を一瞬イメージしてしまう。

 

ここ数日、暖かくなったのもあるが、実はよくナカンダ浜に行く。何をしているかと、こうしてよく考えてみると、島を眺めているのである。島は近くて遠い。

 

それとは逆に、「遠いけど近いと感じる」といったメールが届いた。それは、以前に浅草行った「そらあみ-浅草神社-」に参加してくれた方からだった。このブログを、子供を保育園に預けた後、少しだけできた時間に楽しみに読んでいてくれているという。ありがたく、とても嬉しいメールであった。そこにはこう書いてあった。

 

「少しずつ、ブログ読んでます。なかなかヒマな時間見つけるのが難しくて、2/12までなんとか読み終えたところなんです。

 

息子を保育園に預けて家の仕事してホッとしたときに、ほっこりした気分で笑いながら読んでます。夜中2時頃に目がさめて読む時もあります。

 

こないだ暇つぶしで近畿日本ツーリストに入ったら、瀬戸内国際芸術祭のパンフレットが、どーんと置いてあって、「行きたいんですけど」って、思わずお店のヒトに相談してました。笑。

 

勿論行けないんだけど、坂出からバスで15分位のとこが会場だとか、瀬戸大橋のたもとでやってるとか聞いて、高松を拠点にして宿探すまで話がすすんだの!ええ、行けないんですけどね。

 

ただね、ブログを読み進めていて思ったのは、私は「浅草」で「そらあみ」に参加した事に意味があったのかなーって思った。

 

瀬戸内のそらあみも浅草のそらあみも違うドラマだけど網を通して見る空は繋がってるんだなと思います。

 

私も編んでみたから、瀬戸内が、ブログを読んでいて身近な出来事の様に感じマス。

 

うーん。。。とにかく応援してるから頑張ってね!コレからもブログ楽しみにしてます!」

 

本当に嬉しいメールだった。遠い別の土地の物語でも、同じように網を編んだ人にとっては、瀬戸内が身近な出来事のように感じることができるのである。これまで、舞鶴、釜石、三宅島、浅草とそらあみを編んで、今回、ここ瀬戸内の塩飽諸島で編んだ。それぞれに違うドラマがある。それぞれに編んだ人は違う。だがしかし、編んだ人にとって、網を通して見る空はつながっているのである。

 

今、瀬戸内のそらあみは、舞鶴、釜石、三宅島、浅草、そして、各地でそらあみを編んだ、たくさんの一人一人が、それぞれに今見上げている、無数の空とつながっているのである。

 

 そらあみは、近くて遠く、遠くて近いのである。

ナカンダ浜から見上げた空