そらあみを下ろす

今日は、瀬戸内国際芸術祭2013春会期(3月20日〜4月21日)の最終日。そらあみを展示している沙弥島は、芸術祭へは今回初参加で、また、春会期のみの参加であるため、今日の夕方からクロージングセレモニーが行われて会期終了となった。そのため作品の撤去作業は明日がメインとなる。

 

朝起きると、昨夜の雨があがって雲間から青空が見え、ほっと一安心。これで網は乾くし、明日の撤去も予定通りできそうである。早速、そらあみの設置してある西の浜へ行くと、朝8時過ぎにも関わらず、そこにはもうたくさんの来場者の姿があり驚いた。そらあみは、一ヶ月前に比べて網の色がかなり鈍ったように見えた。まわりの木々は新芽が出たようで色が深緑から黄緑に変わっていた。

 

突然、人混みの中から「おお!五十嵐さん、もどったか」と声が聞こえた。そこには一緒に網を編んだ沙弥島の漁師の溝渕さんの姿があった。約三週間ぶりの再会である。

 

溝渕さん「最終日やから、家族に来てもらってな。孫にも最後にもう一度見てもらおうと思ってな。呼んだんじゃ」

五十嵐「しかし、すごい人ですね」

溝渕さん「そうなんよ。ずっと、こんな感じやったよ」

五十嵐「高尾会長は?」

溝渕さん「家におると思うよ」

五十嵐「ちょっとご挨拶してきます。ではまた後ほど」

 

高尾会長は家にいた。

五十嵐「昨日の夜に沙弥島に戻りました」

高尾会長「そうか、もどったか。明日も天気はええから、網も乾くし、かたづけも大丈夫や」

五十嵐「今日まで網の面倒を見てくれて本当にありがとうございました。」

高尾会長「あの電話くれた日の強い風の時があったやろ、あの時は下ろして正解やった。あれ入れて全部で4回くらい下ろしたかな。網はちゃんと大丈夫やったろ?」

五十嵐「はい。ありがとうございます。でも少し色があせたようですね」

高尾会長「あれはな、おそらく近くの工場の灰が飛んできとるんや。洗濯したら落ちると思うんやけどな」五十嵐「しかし、ほんとに人が多いですね」

高尾会長「そうや。役所のもんが4月15日に坂出市の人口(54,289人)を越えた。ゆうとったわ」

五十嵐「すごいですね。そんなに来たんですか?!」

高尾会長「そんでも、そらあみは成功やったと思う。5つの島のもんでつくれたしな。みんなに見てもらえて、ほんまに良かった思うわ」

 

開幕してからの33日間の来場者数は7万人を越え、メイン会場である直島よりも多く、全部の島で22万人の来場者がいたのだが、その中で沙弥島が一番であったそうだ。陸続きである立地と春会期限定という要素が大きく影響したように思う。とはいえ、多くの方に作品を見てもらえたのは素直に喜ばしいことだし、一緒に編んだ島の人が、自分の言葉で自慢げに見に来たご家族や、来場者にそらあみについて語っている姿はうれしいものであった。

 

西の風が直接当たる浜辺にある“そらあみ”は常に風の影響を受ける。風が強いと下ろさなければならない。この会期中、高尾会長をはじめとする沙弥島の漁師さん達が、ずっと風を気にして、そらあみの面倒をみてくれていた。この方達がいなければ展示は成立しなかった。33日間、そらあみを見守ってくださった皆さんに心から感謝している。

 

網づくりを通して5つの島がつながり、島と島、島と五十嵐の間に信頼関係が生まれた。そして、編むことで当事者となることで、島の人が来場者に対して自らの言葉で網について語り、最後まで見守ってくれた。“そらあみ”はそこまで含めての作品である。

 

そして自分もまた、この33日間、毎日、朝と夕方2回、波と風の動向を調べ、高尾会長と連絡をとっていた。船で海へと出るわけではないのだが、漁師さんと同じように波と風を気にし続けた33日間であった。昨年、日本海を航海したアートプロジェクトで見ていたサイトと同じサイトで波風を調べていたので、天候に対する緊張感は、航海中と変わらない感覚であった。海と共にあり、海を味方にする作品は魅力的であり、またその分、リスクも大きい。毎日、波と風に向き合うことの大変さを再確認することができた。また1つ、少しだけ海に生きる人たちに近づけたように思う。

 

夕方17:30から沙弥島の西の浜で行われたクロージングセレモニーには、そらあみでつながった5島(沙弥島・瀬居島・与島・岩黒島・櫃石島)の自治会長さんが来てくれ、再会することができた。「元気にしとったか?」「何回も集まって大変やったけど、思っていたより網もいい作品になったな」「正面より斜めで見る方が、色がはっきりして好きやな」とか、2月のはじめに最初に会った頃は、当然緊張する相手であったが、今日は父親や親戚のおじちゃん達と再会するような雰囲気であった。

 

夕日を背中に感じながら、5島の自治会長と、集まったギャラリーとで一緒に“そらあみ”を下ろし、そらあみの裾につけられた、共に網を編んだ方の島名と丸名(船名)の書かれた網針を各島の自治会長に「各島で一緒に編んだ皆さん一人一人に返してください」と託し、3月16日の完成式の時に撮影した記念写真をそれぞれに渡して、「そらあみ-塩飽諸島-」のエンディングとなった。

 

今の気持は、事故なく無事に会期を終えほっとした気持と、網を最後まで見守ってくれた島の方への感謝と、終わってしまってちょっとだけ淋しい感覚がある。そして、それらの気持から、3年後の瀬戸内国際芸術祭2016では、ここからどんな展開ができるのかという次へと向かう志が芽生えている。

 

明日は朝8時に西の浜に集合して、撤去作業を行う。

最終日ということもあり、朝はもうこの状態

一ヶ月前は黒が背景の木と馴染んでいたのに、今は黄色が背景の木と馴染んでいる。若葉が出て木の色が変化した証拠である。

色身は全体に少し鈍ったようである

市長と各島の自治会長と沙弥島のみなさんと、そらあみの前で記念写真

そらあみを下ろす

島名と丸名(船名)の入った網針を各自治会長から島のみなさんへ届けてもらう