永く続く要素は「考える」ということ

太宰府滞在22日目。くすかき8日目。曇り。雨の予報だったが結局今日は1日降らなかった。早朝6時半からのくすかきは、土日お休みすることにしたのだが、結局毎日の習慣というものはすごいもので、6時に自然と目が覚めた。それでもこの数時間のゆとりが心身に少しゆとりをつくってくれた。

 

朝のくすかきは15名ほど、夕方のくすかきは25名以上の人が集ってくれた。さすがに土日は賑わう。それでも今年嬉しいのは、平日も1日を合計すると同じくらいのボリューム感で日々人が集っていることである。

 

毎週末の土日は「くすのこうたき」。鬼すべ堂で、樟の葉を水蒸気蒸留して樟脳を取り出す。水蒸気を作るために釜に水を入れガンガンに沸騰させる。燃料は薪。なので薪割りは、「くすのこうたき」の恒例行事となっている。

 

そこは、親父の背中を見て、息子が学ぶ舞台でもある。3年前、まったくと言っていいほど薪を割ることができなかった宮原家の長男は、去年はまずまず、今年は体つきも良くなり、何度も挑戦するうちにずいぶんフォームも良くなり、何度かは気持良く薪を割れるようになった。男の逞しい成長はみんなにとっても微笑ましいこと。それでも、まだ何年も親父の背中を追いかけることになりそうである。

 

そんな薪割りの丸太の中には、節が複雑に入り混じり、とてもじゃないけど斧では割れないような部分もある。今日の薪割りはそんな厄介な奴を攻略するのに、男衆が「ここの目に当てたらいい」とか「節がこっちにも入ってるから反対にしたほうがいい」と話し合い、「じゃあ、1人一発ずつね」と、“ロシアンルーレット”か“黒ひげ危機一髪”かのような雰囲気で、大声で気合いを入れたり、時に力が入り過ぎて薪から斧を外し、みんなで爆笑したりしながら、薪を囲っての自然な場が生まれた。

 

会期前、この週末に行う「くすのこうたき」の中で、くすかきについての意見を交換するような時間(おむすびの会)を無理のない流れで作ろうと思っていた。その理由は、くすかきを千年続くものにしたいからである。

 

去年、天神で行った「くすかきのはなし」で博多からゲストとして、772年続く博多祇園山笠の大黒流すの二取締に来てもらい、祭が永く続く理由について話を聞かせてもらう機会があった。その時とても印象的だったのが、「山笠って何なのか?」ということを、皆でああだこうだ言い合うことが伝統をつくりつなぐことのなだという話だった。要は答えのない問いについて自分なりに考え、その集合体であり連続が伝統となるというのである。祭を続けるとうことは考えることなのである。これは祭に限らず続けることに於いて最も重要なことなのである。そしてその考えるテーマは答えのないものであり、誇りを感じるものである必要がある。

 

千年を目指すくすかきは今年で五年目。そろそろ「くすかきとは何か?」とか、「自分にとってのくすかきは」とか、「それってくすかきじゃない」とか、「それこそくすかきである」とかといった話をしはじめても良い時期にきているように思う。

 

そんなことを考えて、意見交換の場にできればと思っていたのだが、節の厄介な薪を囲んで一喜一憂しながら過ごす時間こそ、「くすかきとは何か?」を考える時間のはじまりなのだと思えた。いい雰囲気である。

 

薪割りの節について考えることが、永く続く重要な要素なのである。

 

P1230102_s

追いかける親父の背中も3年目に突入

 

P1230106_s

 

節だらけの丸太。どの目を狙うかみんなで検討中。

 

P1230109_s

 

女性陣は樟の葉を選んで布袋に詰めて、芳樟袋の制作中。

 

P1230115_s

朝には1枚もなくなったのに、夕方にはこんなに落ちて来ていました。

 

P1230119_s

掻き山もずいぶん大きくなりました。