北海道の鮭網は、瀬戸内の鰆網。

沙弥島滞在15日目。今日は瀬居島でワークショップ。瀬居島は〈そらあみ〉を編む与島五島の中では、人も漁師も多い島で、本浦、西浦、竹浦と3つの地区を回りながら制作を進める。今日は午前中は本浦、午後は西浦、といった形で瀬居島の2つの地区で、〈そらあみ〉ワークショップを行った。

 

本浦でのワークショップに、島の人ではなさそうな雰囲気の女性が2人参加していた。話を聞くと、本浦の自治会長の友人で、誘われて来ました。とのこと。今は2人とも高松市内に住んでいる。だがその内の1人の方が、北海道は釧路の出身で、なんと、40代の頃、アルバイトで網を編んでいたというのだ!しかも5年くらいそのアルバイトをしていたそうだ。なので、それを知っていた自治会長が話をしてくれ、久しぶりに網を編みたくて、わざわざ来てくれたのだ。もちろん編み方の説明をする必要もなく、上手に編まれていた。

 

この方が釧路でのアルバイトで編んでいた網は鮭(サケ)を獲る網で、こうして〈そらあみ〉のように新しく網を編むのではなく、漁で破れた網を修復するのが仕事だったのだそうだ。

 

そんな話をしていると、70〜80代の漁師さんが、「昔、この辺りのナガセ(流しさし網のこと。香川県の鰆(さわら)の漁法)はな。北海道のサケ網を使うとったんや」と語りはじめた。

 

五十嵐「え?!なんで北海道の網を使っていたんですか?」

年輩漁師「サワラとサケと、ちょうど同じくらいの大きさやろ」

五十嵐「なるほど!魚の大きさがサケとサワラと同じくらいだから網の目がちょうど良かったわけですね」

年輩漁師「そうや」

五十嵐「それじゃあ。あの釧路の方がアルバイトで修復したサケ網を使っていた可能性もあるんですかね?」

年輩漁師「それはないな。なんでか言うと、壊れたんを安う買うとったからや。それを自分らで直して使うとったんや」

 

それでも、北海道のサケ網だったものが、その後、瀬戸内のサワラ網になっていたとは、非常に面白い。網で釧路と瀬戸内が繋がっていたのだ。

 

それも、今日、釧路出身のあの方が編みに来てくれなかったらこんな話にはならなかった。

 

午後に西浦の年輩漁師漁師さんにも「ここいらのナガセは北海道のサケ網を使っていたんですか?」と聞いてみると。

年輩漁師「おお。そうや。昔はオウ(麻)から糸をこさえて網にしよったけどな。そのあと、うちの地区のもんがな北海道に親戚がおってな。そん人がいらなくなったサケ網を安う買うてきてな。それがオウの網より、3倍くらいサワラがぎょうさん獲れてな」

五十嵐「なんで3倍も獲れたんですかね?」

年輩漁師「サワラは魚の中でも目が良いでな。オウは糸が太いやろ、その頃、北海道のサケ網はナイロンやったから、オウより見えんでな。それで、ようけサワラを獲りよったわ」

 

どうやら北海道のサケ網は、瀬戸内でサワラ網となり、たくさんの瀬戸内の漁師を喜ばせていたようだ。

 

〈そらあみ〉を編んでいて、北海道のサケ網と瀬戸内のサワラ網がつながったワークショップとなった。

 

北海道かぁ。そう言えば、まだ上陸したことがないなぁ。アイヌの人とかと一緒に〈そらあみ〉編んでみたいなぁ。

 

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本浦にて。網を編むのはサケ網以来です。

 

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本浦にて。昔はこうして、瀬戸内の島では家族で編んでいたそうです。

 

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西浦にて。さすが漁師が多い地区。ずーっと網が伸びていきます。

 

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静かになると「おい!だれかなんか言え」というくらい沈黙を嫌い、会話を好みます。

漁師「この網やったら、目立つからサケもサワラも獲れんわ〜!鳥も目がええから、このド派手な網にはかからんやろ(笑)」

漁師「なあ。にいちゃん。この網がアート言う名前なんか?」

五十嵐「この網は、〈そらあみ〉というアートの一つです」

漁師「じゃあ。アートは、なんて意味なん?」

五十嵐「アートは日本語だと芸術になります」

漁師「じゃあ今、わしは芸術しとるんやな」