糸が紡げることが恥ずかしいこと/糸紡ぎリサーチ

今日は糸紡ぎのリサーチをしにリマ中心部から車で40分ほど離れた地域に住むオスカルとローラに会いに行った。きっかけは、カトリカ大学でアンデス染織の講義をしていたユキさんとの出会いだった。ユキさんは日本人で、ペルーに15年住んでいるアンデス染織の専門家。講義終了後の食事会で非常に興味深い話を聞いた。

 

アンデスには、もともとインカに代表されるような織物の文化があり、それらを美しい自然と豊富な食べ物が支えている環境があった。だけれども、それらを捨てて、人々はアンデスの山を下り、都市のリマを目指す。でも資本主義システム社会では貧困と差別が待っている。今、リマでは「糸を紡げること」が恥ずかしいことになっている。アンデス出身がバレるからである。でも糸を紡ぐことはペルーの文化の本質とも言える。それを隠さなければならないというのが今のペルーの現状だというのだ。

 

これで糸紡ぎに興味ができ、ユキさんに相談したところ、アンデス出身で糸紡ぎの上手な人がリマ近郊にいるということで、オスカルとローラに会いに連れて行ってもらった。

 

二人は、アンデス山脈のワンカイオ出身。50〜60才くらい。リマにはもう30年住んでいる。二人がリマに来た理由はまた別にあった。1986〜87年、ペルーはテロの時代がある。当時、反政府主義の5万人の兵士が地方を拠点に活動をしたため、地方の住人が犠牲となった。政府かテロか、どっちについているかのスパイと疑われ、大量の虐殺があったからだ。ワンカイオで染織工場を持ち、議員もしていたオスカルは標的となり、命からがらリマへと逃げてきた。その後、ローラや家族を呼び寄せたというものだった。

 

故郷について話を聞いた。ワンカイオはインカ時代のワンカ族という戦に強い部族の中心地で、その血をついでいる誇りがあるという。そして、ワンカイオにはいくつかの村があり、村ごとに違う民芸品を作っている。そこには伝説がある。昔、カタリーナ・ワンカという女性が現れ、それぞれの土地を、クツの村、帽子の村、帯の村、銀製品の村、金製品の村、イスの村、陶器の村、といった具合に作るものを分けたという。二人の出身地ワルワス村は織り物の村だったため。二人は小さな頃からその村で染め織りをしていたのだそうだ。

 

緑も多く、自然が美しく、大地の神や、たくさんの山の神がいる。カミナリを三回受けた人は、山の神の言葉を伝えるメッセンジャーの仕事を務めるという。二人は川の近くの家に住んでいて、そこでゆっくりするのが好きだったそうだ。

 

ローラは糸を紡ぎながら話をしてくれた。アルパカの毛がローラの手を介して気持ちよさそうに糸に形を変えていく姿をしばらく眺めていた。その様子は見ているだけで気持ち良く、なんだか眠たくなってしまう。

 

ローラはものごころついてから糸を紡いでいた。昔は、アルパカや羊を追って、歩きながら糸を紡いだ。男も女もみんな糸を紡いでいた。村には糸紡ぎ大会もあって、みんなで細さと量を競ったという。

 

あまりに上手に細く美しく糸を紡ぐので、「村一番の紡ぎ手だったのか?」と聞くと、恥ずかしそうに「まだまだ、たくさんいたよ」とのことだった。

 

ワンカイオに帰りたいか?と二人に聞くと、オスカルは、息子たちはリマで仕事を持っているから帰る理由はないが、自分は今、あっちに家をつくっていて、9月に屋根を張るとのこと。糸を紡ぎ、自分が得意な染めの仕事がむこうでしたいのだそうだ。ローラにとっては30年住んだリマも自分の家。生活はどこでも同じ。でもワンカイオを忘れることはない。家族がどこにいるかによる。と言っていた。

 

アンデスからリマへと移住した理由は違ったが、土地から離れ糸を紡いでいる姿は、大地や山の神々から切り離されたようで、どこか寂しそうに見えた。

 

リマ郊外には、他にもたくさんの紡ぎ手が隠れているのだそうだ。

 

糸紡ぎを時給換算すると、とても割に合わないという。それはなんとなく想像がつく。しかし、糸紡ぎを時給換算することでしか価値化できない今の世の中は決して豊かとは言えない。

 

アンデスでアルパカや羊を追い、糸を紡ぐ暮らしを見てみたくなった。そこにはこのペルーという国の文化の本質があるのだろう。

 

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オスカルとローラ。

 

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糸を紡ぐローラ。

 

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ローラが紡いだアルパカの糸。

 

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ローラが紡いだ糸と、オスカルが織った布。

 

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ご近所に、もう一人、糸紡ぎできる人がいました。

 

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こんな感じの町です。皆、裸一貫でやってきて不法占拠からスタートし、住みはじめ、その後権利を獲得するのだそうです。生きていくことのたくましさとエネルギーを感じます。ルールありきで発想する日本人である自分に気付かされます。