アートプロジェクトのスイッチ

沙弥島滞在4日目。8:40に坂出市役所に集合。役所の谷久さん・山家さん、アートフロントギャラリーの大木さん、プロジェクトスタッフの塩野谷くん・飯高さん、そして自分を合わせた6人で、櫃石島→岩黒島→与島→瀬居島の順番で島を巡った。目的は各島の自治会長さんへの挨拶と、網を編む初日となる日取りを決めるためである。大きなワゴン車1台に乗り合わせ、坂出市役所を出発し、すぐに瀬戸大橋へ。番の州工業地帯を抜け、海面のずっと上を通る瀬戸大橋へ入ると一気に視野が変わる。眼下には瀬戸内海、点々と浮かぶ島々、その間を縫うように行き交う大小様々な船、精密すぎるジオラマ模型を眺めているようである。

 

櫃石島・岩黒島・与島の3つの島は、瀬戸大橋から下る螺旋状のスロープをぐるぐると下って入る。入口には侵入禁止の赤白バーが下りており、島民以外の無断侵入ができないようになっている。言わばその赤白のバーが島と陸を分ける海の役割をしているのである。坂出市役所と島民のみが持っている通行カードを機械に差し込むと、赤白のバーが上がり、島へ入ることができる。海を渡って島に入るのではなく、カードを機械に差し込んでバーをくぐって島に入るので、なんとも不思議な感覚であった。船舶免許を持っている自分としては、ワープしているような、なんだか少しズルをしているような気分になった。

 

1つ思うこととしては、船で海を渡って島に入るのと、車で螺旋スロープを下って島に入るのとでは、入り方のアプローチが水平方向と垂直方向と違う移動となり、島自体の第一印象は全く違ったものになるのだろう。可能ならば海からのアプローチでもこの島々に出会ってみたい。

 

しかし面白いのは、というか島だから当然なのだろうが、車で入ってみたものの広場となり人が集まるのは港付近なのである。車を降り、港を背にすると黒い瓦屋根に黒壁、細い路地が入り組み、その風景はまさに島の漁村そのもの。海から拾い上げたであろう白化した珊瑚が山盛りに飾られた蛭子様の小さなお社、港の端から端まで大きく広げられた底引き網、おもむろに干されたワカメ、ナンバープレートのない車などなど、ルールでがんじがらめの地続きの世界に比べ、配置された物のありかたに自由さを感じる。

 

置かれているもの1つ1つから、そこにその物を置くまでの人の所作や、想いをイメージさせられてしまう。この感じは瀬戸内に限らず、全国どこの島でも、良い島の特徴として、いつも強く感じる部分である。物に力があるのである。自分はそこに島らしさを判断する基準を1つ持っている。

 

実際、地続きの港より島の港の方がすっきりしているのである。ものが溢れていないからである。島は陸に比べ基本的に物が少ない。だから役割を終えた物も大事にし、別の使い方をしたりして、無駄なものが見当たらないのである。全ての物に役割があるように見えるのである。そんな島が自分にとっての良い島である。島民に会う前に物のあり方を見れば島の善し悪しは何となく分かる。なぜならそういった物に力を与えているのは島に住む人達だからだ。

櫃石島→岩黒島→与島→瀬居島と回ったが、今日会った方々は、どこの島の自治会長さんもとても協力的で、2月の頭から次々に島で最初に網を編む日が決まっていった。中には「網なら俺らも芸術祭に関われるからな」と嬉しい言葉もあった。

 

橋でつながった島々だが、各島の印象は違う。

 

櫃石島は、今回は人にあまり会えなかったけれど、建物の並びや路地など風景が綺麗な島で、港には立派な底引き船がかなりたくさん停泊してあった。ここらの島の中では一番漁が盛んな島である。

 

岩黒島は、たまたま今日が5年に一度実施される漁船の点検日だったため、港にたくさんの漁師さんがおり、出会うことができ、直接皆さんの前で“そらあみ”の説明をさせてもらえた。ざっくりと説明したが、話をしても伝わりづらいので、そのまま漁港の地面に腰を下ろして、実際に網を編んでみると、いっきに反応が変わった。編み方はもちろん、何より反応したのは編み針だった。「なんその編み針ずいぶん上等だな。」「編み針のセールスか?(笑)」「これいくらするん?」などなど、ずいぶん気になったようだ。たまたまその時持ってきていたのが岩手県釜石で手に入れた樫の木でできた編み針だったのだが、自分の船から編み針を持ってきて比べてみたりする展開となり、まずは道具で盛り上がった。

 

そして編み方も見てくれ、自分のやり方と比べて、網目が小さい。色を付けるなら完成してからスプレーで染めたらいい。などなど冗談を交えた話は尽きなかった。

 

怪しい集団が来て、作品の説明をするより、腰を据えて目の前で網を編む方が、やりたいことが伝わる量と、漁師さんの心を動かす力が格段に上であった。漁師さんに交渉するならシンプルにその姿と想いを見せ、伝えた方が良いのである。岩黒島は港にある船の数も中くらいで、家族や親戚といった適度なコミュニティサイズで漁をしているように感じた。また、自分と同世代の若い漁師もおり、なんだか盛り上がりそうである。

 

与島は、若者の姿がなかったが、島全体が穏やかでホスピタリティに富んでいるように感じた。公民館で出会ったおばあさん達からもそれらは感じられた。なんとも安心感のある島であった。

 

瀬居島はほとんど人に会えなかったのだが、家がずらりと並び、かなり人が多い地域である。今回、網を編む5つの島の中でも一番世帯数の多い島である。

 

ちなみに各島の世帯数は、瀬居島(244)、沙弥島(35)、与島(65)、岩黒島(33)、櫃石島(85)となっている。人口は世帯数の2〜3倍の数である。

 

一日を振り返ると、今日はとにかく各島の人と会えたのが良かった。実際に会ってみるまでは、なかなか物事は動かない。イメージできる相手が各島にできたことで、今後の動き方も大分具体的になってきた。出会いは想いを生み、想いはモチベーションとなる。帰りの瀬戸大橋では、これからどう動くかの話となり、全員のテンションが確実に上がっていた。土地の人に会うことでアートプロジェクトは動き出すのである。今日、確実にスイッチが入った。

櫃石島。土地の守り神さんだろうか。

岩黒島に下りる螺旋スロープ

恵比寿信仰のはじまりは台風などの大波のあと、浜辺に打ち上げられた綺麗な石などを祀ったところからはじまったそうだ。ここにはそのままの姿がある。

言葉で話すよりも、写真で見せるよりも、そこで編んでみる方が想いは一番伝わった。

岩手の釜石で手に入れた樫の木でできた編み針が素材も形もこっちにはないらしく、気になるようです。皆の前で実践して、編み針のセールスマンが来たみたいだと笑いが起きました。

底引き網を普通仕様からイイダコ仕様に改造中。今はイイダコのシーズンです。

与島のおばあちゃん達。島民運動会で使用する玉入れの玉の制作中にお邪魔しました。なんとも穏やかな空間でした。ざるの中身は小豆です。

瀬戸大橋を坂出にもどると番の州工業地帯が広がっています。島の世界観から一変します。