順光で見える島々がつくる性格

沙弥島滞在18日目。今日は、主に事務作業。途中、市役所にストーブの灯油を取りに行ったり、自炊のための食材を買い出しに行ったり、坂出市の沙弥島での暮らしにだいぶ馴染んできたという実感が沸いた。道も覚え、土地勘もついてきたし、こっちでの昼食の定番となったうどん屋さんも自分の好みが分かるようになってきた。そして、何より知り合いが増えた。挨拶ができる相手がいるということは単純にうれしい。

 

買い出しの帰り、沙弥島の氏神様である琴平神社へ参拝しに行ったあと、偶然、沙弥島の高尾自治会長が歩いていた。車を止めて挨拶をし、少し立ち話をした。土地に入るということは、こういったことである。島の日常に少し入りつつある。そこに居続けるから出会う瞬間がある。

 

さて、そんな挨拶ができるようになった人達について、最近考えたことがあった。こっちの人は、もちろん個人差はあるが、“おっとりと明るく、はっきりとものを言う人”が多いように感じるのである。その理由はなぜだろうか。

 

これは先日、作品設置のために建築家の藤田さんと話をしていて気がついたことなのだが、その理由とは香川の人は“順光で瀬戸内の海と島々が見える”からなのではないだろうか。

 

順光とはカメラマンなどの写真用語で、カメラの背後から被写体に向かって光源が照らす状態を言い、被写体が明るく照らし出されるので、モノの形や色がはっきりする。簡単に言うと、香川県の人は朝日ではっきりと色と形が輝く、瀬戸内の青い海と緑の島を見て育つのである。岡山県側の人が瀬戸内の海や島を眺める時は、その逆で逆光となり、島は黒く、海は海面の光が強く感じられ劇的な景観となる。

 

このことが香川の人の性格に影響を与えているように思う。光による環境の見え方の違いが、そこに暮らす人の性格に影響を与えるというのは、どの土地でも言えることである。例えば、曇りの多い日本海側は、特に冬場は精神的に重くなる。太平洋側が羨ましいと、舞鶴の大工さんがつい先日言っていた。

 

そう考えると、それぞれに住んでいる場所から海を眺めると、ざっくり分けて、日本には海と島の見え方は4つのパターンがある。

 

①太平洋側で見える風景は果てしなく広がる逆光の海で、島はなく水平線があり、晴れが多い。

②日本海側で見える風景は果てしなく広がる順光の海で、島はなく水平線があり、曇りが多い。

③瀬戸内海の岡山側で見える風景は島々が広がる逆光の海で、水平線がなく、晴れが多い。

④瀬戸内海の香川側で見える風景は島々が広がる順光の海で、水平線がなく、晴れが多い。

 

日本列島と太陽の位置関係をイメージして整理してみると、日本の中で、順光で海と島々が見えるのは香川と愛媛くらいなのである。太平洋と日本海を見てきた自分としては、水平線のない瀬戸内海という海は非常に不思議な感覚にさせられる。この風景は非常に貴重なものである。そして、見える風景は精神に影響を与える。

 

誰が最初に言ったのかは知らないが“観光”とは上手く言ったもので、光による土地の環境や見え方の違いを楽しむことを、光を観る、もしくは光を観察すると書いて“観光”としたのだろう。旅行とかで土地を移動する時、光に注目するとその差や違いは面白く、更には土地の人の性格までイメージしやすいのかもしれない。光による環境の見え方は土地の人の性格を映し出す鏡のような存在である。

 

滞在している沙弥島からは、順光ではっきりと輝く、青い海と緑の島々を日々眺めることができる。自分の性格も徐々にだが、この環境の影響を受けているのだろう。18日前の自分より、少しは“おっとりと明るく、はっきりとものを言う人”になっているのかもしれない。

香川県側から見た瀬戸大橋。2013年2月9日8時22分45秒

岡山県側から見た瀬戸大橋。2013年2月9日8時28分31秒