丸名をつける

沙弥島滞在37日目。午前中に新聞の取材を1本受けて、午後に与島へ。網づくりに参加してくれた方の船名を確認しに行った。

 

船名=丸名(まるな:漁師さん達は、こう呼ぶ)の確認が必要な理由は、完成した網、一反一反の下に網針を吊るし、その網針の中に島の名前と丸名を入れることにしたからだ。今回の網づくりワークショップは5つの島を合わせて、全部で24回行われた。参加してくれた方は、延べ人数にして329人。それぞれの島に2回〜5回通った。実際に網を編んでくれた人数を数えると、糸巻きも合わせ131人になった。そして、そのほとんど全員が漁師さんである。

 

なので、丸名が入った網針は約131本となる。こっちに来た当初は、網のみの展示を考えていたが、5つの島の参加者の数が、60mの網に必要な反数と偶然にもほぼ一緒になったのと、5つの島のたくさんの一人一人が関わって出来上がった網であることが伝わると考えたからだ。そして、参加者のほぼ全ての人が船を持っており、丸名を持っていたからである。

 

個人的に丸名を持っている人は、この世には、おそらく日本の漁師しかいないだろう。さて、この「丸」だが、なぜ船名のお尻に丸がつくのだろう。以前の網づくりの時に、瀬居島の漁師さんに聞いたら、「昔の人は自分のことを“麿(まろ)”って言うやろ。それがなまって“丸”になったんやと思う。たしかそんな感じやった。あと小さい子供とかにも牛若丸とか名前ついとったやろ。あんな感じや」とのこと、気になったので調べてみると、諸説あるが、どうやらそれが本当らしい。

 

船のことを“丸”と呼びはじめたのは、歴史的にも古く10世紀頃から使われていたそうだ。昔、自分のことを麿と言い、それから丸に転じ、自分の大切なものである刀や犬にも丸とつけた。船も大切なものだから丸がついたというのだ。

 

他にもう1つ、面白い説があった。城の建物にも本丸とか一の丸とかと名を付ける。そこから、船も丸をつけるようになったというのだ。簡単に言うと、船を城に見立てたということである。確かに城から転じて、家を持つことについて、一国一城の主(あるじ)なんて言い方もするが、確かに船も主(あるじ)感はある。

 

あと自分が昔ヨットに乗って旅をしていた時に聞いたのは、黒船が来た時、ポルトガル人に日本人が、海に浮かぶ船を指差して「あれは何だ?」と質問した。その時、ポルトガル人が船ではなく海を日本人が指差していると勘違いし「マーレ」と答えた。「マーレ」はポルトガル語で「海」を意味する。日本人は船を「マーレ」と勘違いし、その「マーレ」が「丸(まる)」になったというのだ。

 

でもいろいろ考えると、大切なものに“丸”をつけたというのが、一番しっくりくる。昔から日本人は、大切なものには“丸”をつけていたのである。刀を持つ人もいなくなったし、犬に丸をつける人も減った。城を新しく築城する人もいなくなった。息子の名に丸をつける人もほとんどいない。そして“丸”は船だけに残ったのである。

 

「そらあみに丸名をつけたい」と漁師さんに相談すると、「それはいいな」と、話がすぐに進んだ。131個の丸名に支えられ、そらあみは出来上がる。漁師さんにとっての大切なもの、それが船であり、丸名である。丸名をつけることを許してくれたということは、そらあみも漁師さんにとって大切なものになっているということなのだと、自分は信じている。