ブラジル33日目。ブラジルのビーチで“そらあみ”を掲げた。朝8時〜午後1時までの5時間限定。時間を限定したのは、どんどん風が強くなっていくのと、雨期による突然の雨を避けるためだった。サイズは幅5m×高さ3m程度。漁師町で過ごした約10日間の暮らしの中で編み上げたにしては上出来である。色はブラジル国旗のカラーで緑、黄、青、白の4色。“ヤシの木の間”と“ビーチサッカーのゴール”と2カ所で設置することができた。
朝、起きるとペインターのジュリオがハンモックと一緒に架かった“そらあみ”の横にイーゼルを立てTシャツにニワトリの絵を描いていた。自分にプレゼントするために描いてくれていたものだ。漁師が日々集うここフェルナンドの家もすっかり何かが生まれる場所の雰囲気をまとうようになった。一時その様子を眺め、良き時に声をかけると、天気が良い午前中のタイミングで“そらあみ”を設置した方が良いだろうということになり、ニワトリの下絵が描き終わったところで、ジュリオと2人で道具を持ってビーチへ向かった。
15分ほどビーチを歩いて目的のヤシの木に到着。幹と幹の間にロープを張り、シンプルに設置。サイズは測ったかのようにぴったりで感動。しばし、眺めた。
見に来る人は、ビーチを散歩する地元の人、釣り人、船を出す漁師、高級ビーチホテルの宿泊客、高級ビーチホテルの警備員、一輪車を押してゴミ拾いをしている人、ビーチに遊びに来た家族連れや子どもたち、といった感じだった。遠くからの方が、色が目立つみたいで、遠くからやってきてしばし近くで眺め、少し会話して去っていくという人の流れが生じた。細かい感想は分からなかったが、ジュリオが、日本人アーティストの作品であるということと、網と重ねて見える風景は色によって消えたり現れたり、この世界の真実を見せてくれる作品だ。といった説明をしてくれていたのはなんとなく分かった。
この時、網越しに見えたものは、どこまでも海沿いに生えるヤシの木、流れ着いたヤシの実、足跡をすぐに飲み込む白砂のビーチ、ビーチをゆっくりとおしゃべりしながら歩く水着姿の家族、朝日に輝く緑色の海、波間に漂う筏や船とそこで仕事をする漁師、緑に輝くジャングルの隙間から見えるオレンジ色の瓦屋根の家々、遠くに見える巨大なタンカー船、造船所の巨大なガントリークレーンや倉庫、ビーチホテルとの境を決める有刺鉄線、青い空と白い雲の隙間から時折顔を出す太陽、吹き抜ける風とどこからともなく聞こえてくる鳥の声。そして、所々に埋もれたゴミ。
自然と向き合い恵を受けバランスを保ち、この星と共に生きるブラジル。高度経済成長へ向けて、強引にでも邁進しているブラジル。当然として越えられない、乱暴にすら思える格差社会であるブラジル。風を受け揺らぐ“そらあみ”越しの風景はブラジルの現在がそのまま映し出されているかのように見えた。
ブラジルの人達も自然を大事にしたり壊したり変なことしてるなぁ。ブラジルの社会も日本と内容は違っても経済発展を第一に掲げる限り、人が人を社会運営するわけだからやっぱり問題は生じるのだなぁ。などと感じていた。次に、こうして見ると、人間って何かやっぱり不思議な生き物である。人はなぜ生きるのだろう?何のために生きるのだろう?自然とそんなことを考えていた。
人が人になった頃から海は変わらずにずっとこうして、そこにある。海のように変わらずにいつの時代に生きる人にもあるであろう幸せとは何だろうか?求める豊かさとはいったい何なのだろうか?
島国で外を知らずに、ネットやテレビを見て、知った気になって目の前の真実と向き合わずに、感性や衝動という牙を抜かれ、封建的な社会制度に囲われてヌルく生きる日本に生まれ生きようが、裸足から革靴までのあからさまな格差と、交通事故や殺人によって日々出会う死や、夜のファベーラ(貧民街)の明かりから伝わってくる無数の生の輝きといった、生と死がすぐ側で混在する社会と戦って生きるブラジルに生まれ生きようが、社会制度が違うだけで人は人、いい人もいれば悪い人もいる、泣くし、笑うし、怒るし、歌うし、踊るし、恋をする。人は同じである。
では、そんな人は何を求め生きるのか?
フェルナンドの言葉が頭をよぎった。レシフェの都市部へフェルナンドが買い出しに行って帰ってきた夜の話だ。
「YASU、、、よく聞け。都市に行くと思う。大量の生産と大量の消費。ひどすぎる。幸せや豊かさというものがお金というものと混在してしまっている。我々が生きる本当の目的は、“自由になること”。だからこうして、ここスアペでは裸足になりビーチを歩く。家を自分で建て、暮らしやすいように手を入れ改築する。果実のできる植物を植え、育て、食べる。風と波を見て海へと船を出し、魚やエビを獲ってきて友人達と一緒に食べる。それは、自然と向き合って家族や友人達と生きるということだ。そして時折、都市へ出て必要なものだけを買う。長くあそこにいると目の毒だ。重要なのはバランス。だから、ここスアペの漁師町は私にとって完璧な場所なんだ。」
それは、格差のある社会制度から自由になるということでもある。しかも、1人1人そのバランスの取り方は違うということだ。今回のブラジル滞在で学んだ言葉で言うと、アンフェア(不平等)な世界で自分なりにアプロベイト(利用する・楽しむ)するということである。
そう、いつの時代のどこの国もいつだってどこだってアンフェアだったではないか。歴史がそれを証明している。そういう意味で言うと、人が人である以上、この世界は良くも悪くも変わらない。これからも間違いなくずっとアンフェアだ。ずっと問題があり続ける。ではどうしたらいいのか?今のこの一度きりの人生を、今のこの星を、今最高に豊かに生きるためには、、、。
それは、自分で自分の自由をみつけ、それを獲得し、もしくはそのバランスを保ち、自由になることである。自分で見て、自分で考えて、自分で判断して、自分で行動し、死ぬ間際に過去と未来に生きる人に胸を張れるかどうか、自分に納得ができるかどうかである。もしくは、それらの感動を共にできる人と仲間と分かち合うことができるかどうかである。
生まれる時代は選べない。自分は時代とその人なりに戦って引継がれていく、1人1人の生き様こそ文化であると考える。文化を大事にするということは自分自身を大事にすることに通じると考えている。
もう一度言おう。アンフェアな世界を自分なりにアプロベイトするのだ。この世界と向き合い、戦い、自由に生きよう。ブラジルに来て、強く自由に生きることへの憧れが更に強くなった。
ヤシの木から“そらあみ”を外した帰り道、ビーチサイドにゴールネットのないサッカーゴールがあった。ちょうど良い大きさだったので、そこに“そらあみ”をかけてみた。サイズはピッタリ。すると、5分もしないうちにサッカーボールを抱えた少年と父親が現れ、サッカーがはじまった。
なるほど、こういうことか、、、。
ブラジル人のブラジル社会に生きる怒りのガス抜きであるサッカー。彼らにとって行き先のない世界の行き先でもあるサッカー。そのカタルシスのピークがゴールであり、その気持を受け止めるのがゴールネットである。この時、ブラジルでの次なる自分の展開が見えた気がした。
人は同じ。でも生きる社会が違う。サッカーは同じ。でも生きる社会が違えばサッカーをする意味も違う。ゴールネットである網を編むことは同じ。でもサッカーをする意味が違えばゴールネットである網を編む意味は変わってくる。ファベーラやビーチ添いにネットの架かっていないサッカーゴールをたくさん見た。では、各ファベーラやビーチで、その地区に合ったゴールネットを彼らと編んで、地区代表を決める試合をし、こんどは地区代表同士が対戦し、最終的に勝ち残ったチームは地元プロサッカーチームと試合ができ、そこからスカウトされるとか、そういった環境からいずれプロサッカー選手が生まれるとかといったストーリー。まして、ブラジル代表が生まれたら言うことなし。ブラジル人にとっての自由を獲得するためのあくまで1つの手段としてのプロジェクトの構想である。プロジェクトというかちょっと変わったサッカー大会といったイメージかもしれない。
ブラジルにいるから思いつくのだろう。ここにいるから気が付くことがある。地球の裏側まで来て、そこに身を浸すことで見えてくるものがある。
さて、いよいよ明後日、地球の裏側からの視点を胸に抱えて、日本に向かう飛行機に搭乗し、そっちにもどります。
ブラジル最高でした。現地で活動のサポートをしてくださった柳澤さんをはじめ、奥さんのマルシさん、娘のマリちゃん。ブラジル行きのきっかけを作ってくれた日比野さんと、レシフェからナタルへ共に旅した日本の友人達。レシフェ中心部で泊めてくれた智哉くん。ポルトデガリーニャスで出会いもう一度ナタルからレシフェまで運転手してくれたカルロス。ナタルの宿とスタジアムまでのアクセスでお世話になったドミンゴス。そして、スアペの漁師町のフェルナンド、ラマルティーニ、アポロ、ジュリオ、エジウソン、ケウ、おいさん。他にも世話になったたくさんの方々に心から感謝しております。「ありがとうございました!おかげさまでブラジル最高でした!」この場を借りてお礼の言葉をのべさせてもらいました。
そして、不定期に更新される、このブラジル日記を気長に待って読んでくださった皆様。あなたのその視線が、日々の感情を定着させ、発信させる原動力になりました。最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
さてもどったら、博多祇園山笠です。博多で770数年続くお祭りです。山笠の最終日である7月15日を過ぎる頃、毎年、蝉が鳴いて夏がやってきます。なので、自分の中では夏を迎えるお祭りです。自分は今年で9年目になりました。博多で仲間が待っています。では、仲間と共に夏を迎えるために博多へ行ってきます。
朝起きたらジュリオが絵を描いていました
ビーチを歩いて設置に向かう途中、大きな木の下で大きな漁師さんが漁網の修理をしていました
ジュリオと“そらあみ”の設置作業中。簡単な打ち合わせで互いにイメージのズレなく動けました。
“そらあみ”のむこう側にヤシの木。もちろん初登場です
2本のヤシの木の間にこんな風に設置しました
そらあみ越しの風景と、そのままの風景。海は大西洋です。対岸はアフリカです。
海側から見るとこんな感じです。
ジュリオとヤシの実でPK
離れて見るとこんな感じです。ジュリオはカポエイラをしています。
多くの人はビーチを散歩する場合、あの波打ち際あたりを歩くみたいです。
ビーチサッカーのゴールに設置してみました。
“そらあみ”の見え方としては新鮮です。
けっこういい感じに土地に馴染んでいました。
設置後たった5分で、自然とサッカーがはじまるのです。
ジュリオが描いてくれたニワトリのTシャツ。