Cerrito Azul交流11日目。今日は「プール」と「糸巻き」を行った。
昨日、参加しにきてくれたイヴァンの言葉を思い出していた。
「小さな子供たちを想像していたから、最初は怖かった。自分より大きな人もいて、突然何をされるか分からなかった。殴られる覚悟をして、糸巻きの中にいた。でも、しばらくそこで一緒に糸巻きをしていたら、そうでないことが分かってきて、自分の中の恐怖心も少しずつ溶けていった。最後はそこから出たくないと思うようになった。自分の心境は変化していった」
気がつけば、自分とCerrito Azulとの交流は11日目を迎えている。振り返ると、イヴァンの言っている感覚は交流初日の自分とまったく同じだった。最初はみんな怖いのである。それは相手であるCerrito Azulのみんなも一緒だろう。はじめて接触する存在に恐怖心を抱くのは、むしろ生存本能としては正しい。
11日間の交流を通して、心の距離は近づいた感覚がある。言葉を交わすわけではないので、何かを明確に確認できるわけではないけれど、一緒にいる自分の感覚が違うというのだけは確実である。
それでも心の片隅には、突然殴られる可能性もあることは覚悟している。でもそれは他者への尊厳や礼儀のようなものである。
人と人との内面的な距離は誰にも目に見えない。近くても遠いし、遠くても近い。唯一わかるのは、自分自身の心の有り様である。
人と人との内面的な距離は誰にも目に見えない。
近くても遠いし、遠くても近い。
唯一わかるのは自分自身の心の有り様である。