網への想いと衝撃の事実

沙弥島滞在28日目。今日は午前中は岩黒島、午後は瀬居島の西浦と2カ所で網づくりを行うハードな1

日だった。スケジュールの都合上仕方のないことなのだが、1日に2カ所は体力的にも精神的にも削られる。しかも、それぞれに出会いと発見があるので、インプットする情報量が多すぎて、この日記でもアウトプットしきれないほどである。

 

岩黒島の網づくりで、しっかり受け止めなければならない出来事があった。岩黒島の網づくりは今日が4巡目で仕上げの最終日。初日から今日まで、毎回参加してくださり、自分の分の反物(幅60㎝×長さ5m)をずっと編んできて、前回、あと少しで編みあがりという所で終わってしまったから、最終日の今日にその残りの部分を仕上げようと楽しみにしていた方がいた。

 

そこに、今日初めて参加する人がやってきて、その続きを編んでしまった。楽しみにしていた方からすれば、最後まで自分で編み上げたかったという気持がある。初めて来た方も参加してみたいと思う素直な気持がある。最終日でなければ、このようなことは起きなかったと思うのだが、参加してもらう側としては、1人でも多くの方に関わってもらいたいと思う気持があるため、どちらかを断ることも難しく受け止めるしかない。それでも、やり方として最初にその方が今日来るかどうか聞くこともできたと、今考えれば思う。とはいえ、それも動きのある現場では非常に難しくもある。

 

ただ、こういったいろいろな方が参加する現場では、このようなことが起こり得る出来事なのだと、ちゃんと受け止めなければならない。

 

そして、網を編むことに対する気持があったからこそ、自分が編み進めてきた網への想いがあったからこそ起きてしまった出来事と捉えると、それは非常にありがたく嬉しいことであるので、自分としては、その気持を大切に受け止めようと思うし、最終的には2人の方にも、参加して良かったと思ってもらえると信じたい。今、網にはそんな真っすぐな想いが編み込まれているのだと再確認させてもらう出来事であった。

 

岩黒島の網は今日で編み上がり、完成を迎えた。(ただ、この時にまだ気がついていかなかったことを、次の瀬居島の西浦で知ることとなるがのだが、、、。)

 

そして最後に、島のお母さん達が、岩黒島で昔から食べられてきた茶粥とこんこ(大根の漬け物)を作ってくれ、そこに集った皆で美味しくいただいた。芋やそら豆入れたお米をお茶で炊いた茶粥は、お茶漬けのような感じで、何杯でも食べられるような感覚になる。素朴で優しく、どこか懐かしさを覚える味。スルスルと食べれてしまうので、お腹いっぱいではなく、喉の上まで食べなさい(笑)。と言ってもらい、最後は立ち上がって少し飛び跳ねて喉にスペースを作って、喉一杯に食べた。

 

他にもニシガイやイイダコなど新鮮な魚介類も一緒にいただいた。お母さんの1人が「やっぱり大勢で食べる茶粥はおいしい」と言っていた。まだ数回しか会っていない自分たちのために、このような美味しい料理と場をつくってくださったことに心から感謝している。この茶粥の味は、岩黒島の味として舌と胸に深く刻まれた。

 

最後に編み上がった網を竹竿で立てて広げて記念写真を撮り、岩黒島の空に“そらあみ”がかかった。屋外で網を立てると、ガラリと見え方が変わり、皆さんの胸の高鳴りを感じることができた。それぞれに思い思いの角度で編まれた網と網目越しの風景を楽しんでくれていた。やはりそらあみは、外で立てて力を発揮する。

 

出発の時間が来た。何度もお礼を伝えて島を離れた。帰り際に少し早くお家に帰ったおばあさん達とすれ違い、車の窓を開けて別れの挨拶と感謝の気持を伝えた。おばあさん達は車に近づいて来て、手の平をこっちに向けて腕を伸ばしてくれ、こちらも思わず手のひらを重ねた。手のひらの温もりを今も思い返す。

 

「また来てね。楽しかった。ありがとね。」

 

思わず胸が熱くなった。

 

「もうこの島に来る理由がなくなったから淋しい」と言うと、「次は理由もなく来い」と島の漁師さんが言ってくれた。岩黒島は自分にとって理由もなく会いに行ける島になりました。

 

茶粥で喉一杯になりながら、13時前に瀬居島の西浦に到着。公民館の前には既に自治会長さんや地元の漁師さん達の姿があった。

 

「遅くなってすいません。岩黒から来ました!」

「おおそうか!午前中は岩黒やったか!」

 

急いで準備を整えると、次々に漁師さんがやってきてくれ、自然と網づくりが始まった。瀬居島の西浦は今回網づくりに参加してくれている5つの島の7つの地域の中でも1・2を争うほどに漁師さんが多い。なので、今日の2巡目にして網づくりは完成を迎えた。いや、完成を迎えるはずであった。このことについては後に書こうと思う。

 

編みはじめると、他の島と同様にそれぞれの漁師さんの船名についての話を聞いた。

 

「◯◯さんの船はなんて名前ですか?」

「あいつの“まるな”は何だったかな」

 

“まるな”?初めて耳にする響きだった。聞くと、“まるな”とは漢字で書くと“丸名”と書く。それは、◯◯丸と書く漁船の船名を意味する呼び名であるとのこと。丸名(まるな)いい響きである。漁師はみなさん丸名を持っている。その多くはめでたい漢字や自分の名の一部を入れてあり、◯栄丸とか、◯福丸といったものが多い。あとは戎(えびす)丸とか、日の出丸といった丸名も多いようだ。また、父親からそのままの丸名を引継いでいる方も多い。

 

丸名もそうだが、船もまた、代々引継がれ、乗られていく乗り物である。父親の船に乗り修行を積んで、独立するといった流れである。独立の時に父親から、それまで父親が乗っていた船を譲り受ける。そして父親は中古船などを購入し新しい船に乗り換えるといったパターンが多いようである。

 

それぞれの船は、その漁師さんの使い勝手の良いように、改造され、道具や物が各所に配置されている。なので、船ごとに船の癖というものができる。父親の船で仕事を覚えた息子は、父親仕様に改造された船の方が当然仕事がしやすい。知らない誰かが乗っていた船や新造船となると、また1から自分の使いやすいように船をつくり込まなければならない。それはけっこう大変なことなのだそうだ。

 

瀬居島の西浦で一番若い漁師は19歳。その人のお爺さんは、今回の網づくりの西浦の現場で、ものすごいスピードで編んで進め、西浦の漁師の皆さんから「おっさん」と呼ばれる方の孫にあたる。「おっさん」は87歳の現役漁師だが、もちろんそろそろ引退も近い。なので、おそらく、19歳の孫は、お爺さんの船を引継ぐ形となる。

 

「やっぱり孫が漁師になるのは嬉しいものですよね?」と別の漁師さんに聞くと、「嬉しい半分、心配半分やろうな。大変さも知っとるしな。でもまぁ、やっぱり嬉しいやろな」

 

漁船という乗り物は、単に仕事の道具や乗り物としてのみ機能しているのではない。そこには丸名や仕様といった引継がれる想いや、物語や、精神が宿っている。それだから、漁港にずらりと並んだ漁船には、独特の力強さと存在感があるのだろう。一隻一隻の漁船に海と向き合い暮らしてきた、漁師の生きた証が刻まれているからである。

 

4時過ぎに編み上がると、公民館を出てすぐ横が漁港となっており、ちょうど良い電信柱があったので、そこに仮で網を張って吊るしてみよう。ということになった。今までは竹や物干竿だったのでピンと網を張ることはできなかったのだが、今回はちゃんと張ることができた。見え方はよりすっきりして、「おお!以外ときれいなもんやな。」「こっちの角度の方が色がきれいに出とるぞ」など喜びの声が上がった。

 

そして1人の人が「なんか短くないか?これで5mあるんか?」と、その一言でメジャーを持ってきて吊られた網の長さを測ってみた。すると、なんと5mないではないか!何故?それは網の目をキレイにダイヤの形になるように横に引っ張って開いてみると、全体が吊り上げられ、まっすぐ伸ばして5m編んだ網が、4mくらいに引き上げられてしまうのである。

 

縮むイメージを持ってなかったわけではなかったのだが、こんなにも縮むとは、、、。今までの別土地で行ってきた“そらあみ”の現場では、最初に棒を立てて編み進めていったので、引き上げられるといったズレはその場で解消してきた。ところが今回は室内の床の上で編んできた。出来上がった網を実際に吊った時に、これほど縮むとは思っていなかった。

 

ということは、これまで5m編んで完成したと思ってきた各島の網は全て1mくらい足りない計算となる。これはまずいことになった。全ての島の網を更に1m伸ばさねばならないのである。

 

西浦の皆さんはその場で事情を理解してくださり、3日後の次回に編み足してしまおうと言ってくださった。「今日で終わりの予定でしたが、最後にもう一度、ご協力お願いします!」と言うと、漁師さんは「乗りかかった船だから最後までやるよ」と言ってくださった。感謝である。

 

さて問題は、完成し、感動的な別れをしてきた他の島の網をどうするか、、、。明日、それぞれの島の自治会長さんと漁師さん達に相談するしかない。しかし、早めに気がついたのが不幸中の幸いである。

 

これまでの日記で、さんざん編み上がりが早すぎると言ってきた。編むのが早かったのは事実であるが、編む量が少なかったから早かったとも言える。うーむ、、、。全ては“網は横に広げたら縮む”という当然のことに、気づけていなかった自分の責任である。

岩黒島。いよいよ完成直前。

茶粥に、イイダコに、ニシ貝に、タイラギ貝に、こんこ。喉いっぱいにいただきました!

みんなで食べる茶粥は美味しい。ごちそうさまでした!

最後に残った皆さんで記念写真を撮りました

岩黒島の空とそらあみ

さよならのハイタッチ

瀬居島の西浦。足並みをそろえて縦にすいて(編んで)いきます。

完成間近

表の漁港に吊ってみる。いっきに見え方が変わって、編んだ方々が高揚感に包まれています。

ロープを張った状態で高さを計測すると、計算より短いことが発覚!もう一度来ます。よろしくお願いします。