塩飽諸島は岩との出会い

沙弥島滞在27日目。今日は滞在先である沙弥島の海の家で一日事務作業。27日間休みなしで動いていると、さすがに疲れが溜まってきている。

 

そこで、つい先日、坂出市の副市長さんの紹介で岩盤浴へ行き、1時間ほど温かな石の上で汗をかきリフレッシュ。そこでは天照石という石を使っているそうだ。神話の里である九州は宮崎県の高千穂山系で採れる石とのこと。

 

そう言えば、最近やたらと大きな岩と出会う。今回そらあみを行っている塩飽諸島の島々の神社に行くと、大きな石が御神体として祀られているケースがほとんどであった。地元の方に話を聞くと、磐座(いわくら)信仰だろうという。磐座信仰とは、日本に古くからある自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)である。

 

岩を信仰の対象とするのは、海に生きる人達の特徴であるという話を、今年の1月に舞鶴で行ったトークイベントでお会いした、文学博士の山田創平さんから聞いたことがあった。創平さんの専門は地域研究(芸術と地域、マイノリティと地域、都市空間論)である。

 

日本には昔、海人(あま)と呼ばれる、海辺や水辺で暮らす人達がいた。黒潮の流れに乗って移動してきたと言われ、フィリピンや台湾など南方の島々との神話や文化的接点も多いとのこと。

 

海を移動する人達にとって、星や山や岩といった“動かないもの”は、行き先や海上の自分の位置を把握するために非常に重要な役割を果たす。

 

今回、塩飽諸島で出会った漁師さん達も、現在はGPSを駆使して船の位置を把握するが、昔は“山立て(2つ以上の山を目印にして海の上にいる自分の船の位置を計測する)”をいう方法をとっていたそうで、今もその名残はあり、先日網を編んでいる途中に、いったん手を止め、漁に出ようとした漁師さんが、「今日は霧が出とるで、山が見えんから、やめとくわ」といって船を出すのを止めたシーンに出会ったことがあった。

 

そう考えると、塩飽諸島の海に生きる人達の信仰の対象である“動かないもの”の1つとして、島の神社には必ずといってよいほどに、動かない大きな岩があったのは納得がいく。

 

漁師さんと出会い、言葉を交わし、同じ時間を過ごしていると、“海からの視座”というものが、自分の視点と徐々に重なっていく。海から、この島国を物理的に離れた場所から見るという視点である。その視点で見れば、普段見ている、山や星や岩も見え方が変わってくる。

 

陸と海しかない、この地球という星で多くの人は陸のみの視点で生き、死んでいく。しかし、海からの視点を手に入れることができれば、同じ世界がまた違って見えてくるわけである。

 

海の視点を持った漁師さん達と編んだ“そらあみ”の網の目越しに見える風景は網による視覚的効果で少し揺らいで見える。その時、そらあみという作品は、この世界を“海からの視座”で見つめ直す窓のような役割を果たすのだろう。

 

岩の存在が自分の中で大きくなっていっているのを実感している。

櫃石島の神社にあった「キイキ石」と呼ばれる岩

すぐ近くの岩もご神体として祀られていました。

櫃石島の南にある「歩渡島」という小さな島の一本道の終わりにも岩があり、七福神が祀ってありました。

櫃岩と呼ばれる岩。瀬戸大橋の真下にある。この日は櫃石島のみの散策だったが、沙弥島の神社にも、瀬居島の神社にも大きな岩があったのが印象に残っている。