芸術祭の負荷

沙弥島滞在24日目。今日は与島での網づくり。与島でのワークショップは今日で4巡目。古く石の島であり、元石工が多く、漁師の少ない与島での網づくりは、最初の頃に比べると、皆さんずいぶん編めるようになり、ゆっくりではあるが確実に編み進められ、島の人も我々も今日で完成できるイメージを持っていた。だが、やはり編み合わせの際に、目数のズレなどが生じ、完成は次回へ持ち越しということになった。「編み方を忘れんで、覚えているうちにやってまおう」ということになり、次回は、明後日の2月21日となった。

 

結局、今日は13時から18時近くまで編んでいたのだが、おばあちゃんやおばちゃんなど女性参加者が多い与島は、途中、夕ご飯の準備などがあるので、17時前に帰っていかれる方が多い。その内の1人の方が、一度家に帰って夕ご飯の準備をして、旦那さんにご飯を食べてもらって、その後、網の現場に戻ってきた。

 

「気になってしまってね。自分が間違えた分はしてしまおうと思って」とのことだった。他にも「この網は、はまってしまうね。どんどんしてしまう」という言葉もあった。

 

網づくりへの参加は強制ではない。が、大きくても小さくても島で1枚の網をつくるという流れがある以上、楽しんでいる方もいれば、多少負荷になっている方もいると思う。それは、自分のような地域を巻き込んだ参加型アートプロジェクトに於いて、どんな土地に行っても同じである。賛否があって当然なのである。

 

もっと言えば、瀬戸内国際芸術祭も含め、様々な地域で展開している、ここ10年くらい盛り上がっているアートプロジェクトというものは、土地の魅力を、アートを介して再発見し、都市部への発信を行い、観光や地域振興といった言葉で語られることが多い。当然、そんな良い点もあれば、逆に悪い点もある。それぞれの土地で穏やかに暮らす人達にとっては、単なる負荷でしかないこともよくあるのである。

 

ではなぜ負荷になってしまうのか、もしくは負荷のままで終わってしまうのか。それは、その出来事に関係性をつくれないからである。もっと単純に言えば、楽しめないから負荷にしかならないのである。

 

まあ、現場にいると、よく、そのことに直面する。でもそれこそが、今の日本やそこに生きる日本人にとっての芸術や美術といったものに対する、素直な距離感や感覚なのだろう。ギャラリーや美術館で作品を置いてお客さんを待っていても、屋外に彫刻物を設置して現場を離れても、この現実の状況に出会うことはない。

 

今していることは、美術がちゃんと、この日本の世の中で普通に暮らしている方々に必要とされるのか、社会の中で機能するのか、その挑戦と検証でもある。なので、それぞれの国や社会に合った芸術のあり方がある。必ずしも欧米型が正解ではなく、日本には日本のやり方がある。それが、“芸術祭”という形で、良くも悪くも、最近機能してきているように思う。

 

では土地に与える負荷の話にもどそう。芸術の役割は、いつの時代も、その時代への問いかけであり、ものの見方や価値観の新たな視点を提示し、結果、今ある世界を、日々の暮らしを精神的に豊かにするというものである。

 

その変化の過程には当然、負荷が生じる。なぜなら今までの安定した状況やバランスを一度崩し、再び構成し直すことであるからだ。誰だって、今あるものを崩すのは怖いし、面倒である。でもそうしないと「新たな自分=新たな世界」に出会うことはない。芸術は常に“今まで”の存在に対して面倒なものであった。

 

そして負荷が飛躍につながるのである。「幅60m×高さ5mの網を5つの島の人で1本の糸から編んでつくる。そして全部つなげて浜辺に立てる」こんなものは、島の人からしたら負荷でしかない。だが、顔を会わせ、言葉と想いを交わし、同じ方向を見始めた時に、それは徐々に負荷から夢へと変わっていく。

 

負荷があるから夢を抱くのである。馬鹿げているからやってみたくなるのである。誰かの何かを眺める芸術から、関わることで自分の何かを見つめる芸術になりつつある。

 

戻ってきたお母ちゃんが言っていた「何かが気になって」「なぜかしてしまう」の言葉を思い出す。網を編む所作の魅力はもちろんだが、その言葉の深層心理には、新しい自分に会いたいと思う本能があるのかもしれない。

 

芸術はやはり乱暴だと思う。だから、できる限り、1人1人と向き合おうと、自分は思うのかもしれない。

与島もいよいよ隣同士をつなぎはじめました

つないでみて、徐々に足並みが揃うと共に1枚の網になっていきます。