くすかき十三日目。今朝は気温9度。天候は晴れ。葉っぱに混じって枝が目立つようになってきた。枝が落ちると落葉がもうすぐ終わる知らせである。6:30からの〈朝のくすかき〉には大人13名、子供8名、合計21名が集った。
今朝の〈くすかき〉には近くにあるお寺のお坊さんも参加してくれ、面白い話をしてくれた。〈くすかき〉では、葉っぱを掻いた後で、次の葉っぱが落ちてくる場所をつくるという意味で、地面を整えて縞模様を描く。仏教の世界では枯山水で有名だが、この縞模様を砂紋(さもん/しゃもん)という。お坊さんの話だと、修行の時にこの砂紋を描く。描くときは、川の流れのように、石や何か障害物に当たったら自然とぶつかって流れができるように描いていくということを意識するとのことだった。
自分は以前から、〈くすかき〉で聞こえてくる音、具体的には松葉ほうきで葉っぱを掻く音が、砂浜に打ち寄せる波の音のように聞こえ、縞模様は波紋のように見えていた。なので広い天神広場一面に縞模様が描かれた時には大海原を見ているような感覚があり、縞模様の上に新たに落ちてきた葉っぱは海原に浮かぶ舟のように感じていた。一緒に〈くすかき〉をしている仲間ともよくそんな話をしていた。
ここで興味深いのは、くすかきの跡も仏教の砂紋も縞模様に水を感じるという点にある。自然界では海底や砂漠なんかに縞模様ができる。自然現象で水や空気が流れることによってできる風景である。人が作り出す縞模様は風や波が作り出す模様が人類の記憶の奥底にあって、それを人の手でつくっているとも言える。
故に人は縞模様に風や波といった、水や空気の流れを感じることができる。だから、朝のくすかきをした後は、あんなに清々しいのかもしれない。
そう考えると、くすかきをしている人たちは、風であり、波であるとも言える。
葉っぱに混じって枝が目立つようになってきた。
風であり。
波である。
波打ち際。
お坊さんは、既に〈くすかき〉に必要なスキルも知識も持ち合わせ、ごく自然に場に馴染んでいました。流石です。
掻き山もぐぐっと大きくなりました。