三宅島からの助っ人

昨夜8時30分、自分は竹芝桟橋にいた。三宅島から到着する船へ、ある人を迎えにいったのだ。以前からこのブログを読んでくれている勘の良い人なら分かるだろう。そう、三宅島の網専門漁師であり、三宅島で行った“そらあみ”を一緒に毎日編んでくれた、クニさんを迎えにいったのだ。

 

数日前の電話で、クニさんに「今、浅草で網を編んでいるんですが、三宅の時よりも大きなものを編みたくて、助っ人としてきてもらえませんか?」と話をした。自分としては、急な話で無理なお願いなので断わられても仕方がないと思いながらも、ここ浅草神社に三宅島の漁師さんが来て網を編んでいる状況は、面白いに違いないし、プロジェクトとしても“そらあみ”を介して、土地から土地へ網を編むことを理由に人が、漁師が、動きはじめるといった展開はありだなと考え、どこか期待もしていた。クニさんの返答は「おう。分かった。行くよ」と以外にもあっさりで、クニさんのそらあみ浅草ツアーは、本人の了解を得て、即決で動き始めたのだった。ちなみに明日9日は、現在「TRANS ARTS TOKYO(トランス・アーツ・トウキョウ)」が行われている旧東京電機大学11号館2Fにて19時から、三宅島大学特別講座「そらあみ報告会」を行い、そこでクニさんにも網を編むデモンストレーションをしてもらう予定である。

 

待ち合わせの竹芝桟橋で再会。がっちりと握手を交わし「しばらく」。クニさんからは、その一言だった。そのまま地下鉄に乗り、浅草の旅館へとご案内したのだが、まずここで、発見があった。クニさんの歩くスピードがゆっくりすぎるのである。いや、逆に自分の歩くスピードが速すぎるのかもしれない。三宅島にいた時はクニさんの歩くスピードを遅いとは感じていなかった。10月22日に三宅島から東京にもどって、ほぼ2週間。この間に自分が変わったのだ。東京のスピードに身体を変容させたのだ。しかも無意識で。自らの身体の順応性に驚くと共に、無意識のうちに、島や海といった時間感覚を失っていることに焦りを感じた。ゆっくりとゆっくりと歩くクニさんのペースであり、ある意味、島や海のペースに合わせて、浅草の旅館に着いたのは夜の9時30分頃であった。翌日の10時に浅草神社集合の約束をして別れた。

 

そして今日である。

 

クニさんが来ることで現場が一変した。何が起こったかというと、空間が三宅島化したというか、突如として、そらあみの現場が漁村の風景になったのである。今日まで浅草神社では、立って編むか、イスに座って編んでいた。だが、クニさんと三宅島で編んだ時はゴザを敷いて地面に腰を据えて編んでいた。立って編んだり、イスを用意したのは東京という場所性であり、そこに訪れる人達に向けての場のデザインであった。こっちの方が東京には合うだろう参加しやすいだろうという感覚でイスを用意したのである。ところが、クニさんが来ると、そうはいかない。ゴザが必要なのである。なので、ゴザをお宮にお借りして、それを境内に敷いてクニさんはいつものスタイルで編みはじめた。するとどうだろう。一緒に横でゴザに座って編んでいると、網を編んでいで横にクニさんがいる。この状況は、、、。自分が、まるで三宅島にいるように錯覚するのであった。

 

そして、気がつくと大きな一眼レンズのカメラを抱えた観光客やカメラマンなど8人がクニさんを取り囲み、大撮影会の様相となっているではないか。目にも止まらぬ手元の速さで編み進めるクニさんの編み姿は十分なパフォーマンスとなり、浅草という土地では人だかりができるのである。

 

歩くスピードにゴザの上での編み姿、それはクニさんが長い時間をかけて三宅島の海で体にしみ込ませたものである。いわば、クニさんの体から三宅島の海が、にじみ出ているのである。三宅島からの助っ人は網を編むだけではなく、海を現場に持ち込んでくれたのである。観光客やカメラマンは、表面上は編み姿にシャッターを切っていたが、無意識的に惹かれていたものはきっと、クニさんの中にある海の存在だったのだろう。

 

浅草に本日、クニさんという海がやってきました。浅草神社の境内には漁村の光景が広がっています。

 

「クニさん(海)×漁網=漁村」なのである。

ゴザとイス

本物から見て学ぶ

気がつけば8人のカメラマンがクニさん撮影会

浅草神社が漁村となる

漁村に網を編みに来た巫女さん(職業体験の中学生)たち

今日は良い網手たちがそろいました。

そこにあるのか。ないのか。

まだまだ網は大きくなります