明日は三編み紋に網を設置する日なので、編むのは今日で最終日。天気の良い土曜日ということもあり、本当にたくさんの人が訪れ、そして、いろんなことがありすぎた。とても全てを語ることはできないほどである。どんな一日だったか一言で言うと“プロジェクトのグルーブ感が出てきた”ということだろう。今までいくつかの現場で経験してきたが、これは、久々にプロジェクトとして、ある段階までたどり着いた証明でもある。
差し入れをしてくれる地元の人や神主さん、一緒に編む仲間やはじめての参加者、毎日参拝に来て網の成長を楽しんでくれ話しかけてくれる方、このプロジェクトに関わる全ての人が、明日11日の最終日に向けて、三編み紋を目指し、みんなが1つの方向を見ている。それが伝わってくる瞬間がたくさんあった。ものごとがすごい勢いでまわりはじめている。
それは、場の力を味方に変えたということでもある。17日間をかけて、朝から夜まで、毎日の“編む”という身体行為の積み重ねが生んだ結果である。
三編み紋をつくっている。それを見たい。毎日頑張っている。ゴールへ向かうイメージを共有した時に生まれるグルーブ感である。はじめは皆、遠くからみているだけだった。毎日の姿勢が重要なのである。何か巨大なものに真摯に向かっている姿を見ると、人は自分のできることを考えはじめる。今回は幅9m長さ20mの網を編んで三編み紋をつくるという、ある種スケジュール的にも不可能ではないかといった内容のトライアルであった。
諦めずに、ただただ編み続けることで、1400年の時間を持った物や物語や空間が、人を介して現在進行形となったのである。
物質は物語(時間軸)の記憶装置である。人が介在することで、媒体として物に関わることで、はじめて、その物語は再び動き始める。
朝の8時から夜の9時まで網を編んだ。最後のつなぎとエンド処理を残して幅9m長さ20mの網は編み上がった。17日間の身体行為の積み重ねが、明日、1400年ぶりに三編み紋を浅草の地に出現させる。
一緒に編んできた仲間から、あと一週間この感じでやったら、もっとたくさんの人を巻き込んで、地元の人も、もっともっと参加して盛り上がったでしょうね、もう一週間くらいやりたかった!という声があった。確かにそれは言える。ただ、17日間の成果としてこの状況が、グルーブ感が生まれたのはかなりすごいことだと思う。
自分が行うプロジェクトのおもしろさはこのグルーブ感にある。それは、人と人の関係性がつくり出す、生き物のようなもので、その静かな熱狂は人を現場の虜にする。なぜなら、そこにいないと、現場にいないと感じられないものだからである。そして、関わったそれぞれが、関わったそれぞれの深度で、共有体験の中の、自分だけの経験を持ち帰る。それはまるで“お祭り”のようである。
「三社祭か、そらあみか」そんな言葉が交わされる浅草の未来をイメージする。
朝8時。クニさんと五十嵐
網に向き合い。自分に向き合う。
猿まわしの猿も来てくれました
網に登ることもなく、猿が場に関わるのは初めての経験でした
七五三に猿にそらあみ。なんだかすごい状況になってます
それでも、ただひたすらに編み続けます
世界が変わったのか?自分が変わったのか?要はものの見方が重要なのです
東京都内に住んでいるクニさんの娘さんやお孫さんといったご家族も来てくれ、久々の再会
もはや2人の漁師にも見えなくもない
あと少し
ほぼ完成!今日はここまで
これで浅草は編み納め
明日は三編み紋の形になる。この風景は今夜が最後
朝8時から夜9時まで、ずっと神社の境内にいました。ずっと編んでいました。
夜空とそらあみ