東京でのプロジェクト生活

昨日に比べてずいぶんと冷え込んだ一日となった。この時期の屋外での作業は、風が出るとかなり体温が奪われ、逆に陽が当たるとかなり暖かくなる。今日はその両方が繰り返しやってきた。自分の仕事のやり方は1つの土地へ1ヶ月程度の長期滞在をするケースが多い。体あってのプロジェクトである。まずは体調管理が大切である。

 

今までいろんな土地でプロジェクトを展開してきたが、実は東京都内でやるのは、ほぼ初めてに近い。地方でやるときは、たいてい寝袋とノートパソコンを持って現地入りする。この2つは大学時代からの基本アイテムである。転々と土地から土地へ移動しながら、自分のいる場所をレジデンスと定め、仕事場に変え、生活の場とし、そこから発信してきた。行った先にデスクが用意されているケースなどほとんどない。どこに行っても同じである“ないものはつくる”“ほしい場があるなら、その場をつくればいい”。自分のいる場所がプロジェクトの現場であり、レジデンスである。

 

そして現場が一番おもしろい。そこに全ての決定権があるからだ。どんなに机で考えても、オフィスでミーティングを重ねても現場には勝てない。逆に現場に入らずに出来上がるものや作品などは、その土地に設置した場合に、土地に飲み込まれるか、異物としてはじき出されるかどちらかである。土地は強い。よそ者がやってくる遥か以前から、そこで生き続けているのだから当然である。

 

今回の現場は浅草。自宅から徒歩と電車でほぼ1時間といった距離。なので最初は自宅から通っていた。がしかし、実はここ5日間くらい家に帰っていない。その理由は、他の仕事も含め忙しかったというのもあるが、まずは、行きと帰りの移動時間の合計2時間がもったいないのだ。同じ現場に入るのに毎日2時間も移動に時間を割くなんて馬鹿馬鹿しい。その2時間で別の仕事ができる。

 

そして何より本質的な理由としては、“調子が出なかった”のである。家に帰ると体と心がどこか安心し、気が抜ける。それでは身体感覚も感性も鈍ってしまい、これでは土地に入れない。現場感がなかったのである。なので強引に浅草にいることにした。今まで仕事をしてきた土地と同じように、そこに入り込み、自分の場所をつくることにしたのである。浅草神社を出た後、とりあえずはコンセントの確保できるハンバーガー屋さんでパソコンの仕事を閉店まで行い、安宿へ移動し、宿で寝るまで仕事をする。翌朝そのまま現場にもどる。それを数日繰り返した。そうしたらやっと調子が出てきた。東京都心の浅草が、1つの地方としての浅草として、身体感覚を通して見えてきた。自分はやっぱりそこにいないとだめである。“そこにいること”も含めて自分の仕事のやり方なのである。東京でのプロジェクト生活がはじまっている。

 

“そこにいる”大先輩と言えば、お地蔵さんもその1人である。プロジェクト生活の成果でもあったのか、今日の“そらあみ”の現場はちょっとお地蔵さんになった感のある出来事が起こった。まず、驚いたのは“そらあみ”に感心した地元のおばちゃんが、お賽銭を置いていってくれたのである。「はい。これ。お賽銭ね」と、作業で使用している木製の四角いイスの上に100円を置いていってくれた。この100円はプロジェクトからと言うことで、お宮に奉納させていただきました。他には、お寺の入口に設置された厄よけの煙りに体を当てるように、網を手に持ち体に当てて、厄よけしている人にも出会った。浅草神社という土地性なのだろう、なんだか面白いことになってきている。最後にお地蔵さんの決めてと言えば、お供え物である。先日は飲み物を差し入れしていただき、今日はなんと!別のお母さんからポテトサラダをいただきました!

 

お母さんは“そらあみ”を見て言う「これ、めっちゃいいじゃない。色も良いし、元気が出るわ!来年もやればいい。毎年やったらいいじゃないの。ちゃんと三社さんの網だしね。それに、選んだ時期がちょうどいいわ」。自分としては、是非来年もやりたい。継続し、地域に定着化させ、1400年の歴史のその先の物語を見てみたい。

ポテトサラダごちそうさまでした!

だいぶサイズ感が出てきました

丸く球にした糸が少なくなってきたので、球づくり

みんなが使う編み針に紐を仕込む

ちょっと一休み

地元っ子

境内の中で存在感が出てきました

さすがに夜は寒いです