ブラジル25日目。6時すぎ。雨漏りの滴が右の首筋に当たって目が覚めた。空が透けている屋根から響く雨音から、どうやら外はどしゃ降りの雨。
トビラのむこうで幾人かの男が会話をする音がした。聞き覚えのある声、、、ラマルティーニだ。リビングで出ると、そこにはフェルナンド、ラマルティーニ、アポロ、それと知らない男2人がいた。海へと漁へ出るつもりだったが、風雨かあまりに激しいので出れずにいた。
「おう。久しぶり。元気にしてるか?」なんとなく言葉を交わしながらラマルティーニとアポロと再会の握手をする。「おはよう。はじめまして」なんとなく言葉を交わしながら知らない男2人と握手を交わす。どうやらみんな漁師のようだ。
フェルナンド「YASUがナタルから帰ってきたよ」
ラマルティーニ「ストームを連れてきたのはおまえか?」(皆、笑う)
自分も漁に同行する予定だった。
どうしようもないくらいの豪雨になってしまったので、自然と酒盛りがはじまった。不定期に落ちる雨漏りの滴をボクシングのトレーニングのように避けるアクションで盛り上がる。ブラジルは今、雨期である。そして冬である。しかし、年中温かいこの辺りは基本的には半袖短パンで過ごしている。
饒舌に行き交う漁師たちのポルトガル語を聞きながら、ブラジルで網を編む理由を考えた。日本でのそらあみの説明は、「参加者と共に空に向かって漁網を編むことで、人をつなぎ、記憶をつなぎ、完成した網の目を通して土地の風景を捉え直すプロジェクトである」としている。
日本ではまさにその通りなのだが、社会状況が違うブラジルでは、編む意味が変わってくる。それは、日本とブラジルでサッカーをする意味や理由や目的が違うのと同じことである。
ブラジル人がサッカーに熱狂する理由は格差社会への怒りのガス抜きであると感じている。カーニバルで踊るのも、また然り。そして、ここSUAPEには町ごと家族のようなコニュニティのつながりがあるようだ。そらあみで人を繋ぎますというのも、特には必要とされてはいない。自分がこの土地とつながるためには必要なのだが。
ブラジルで網を編む理由、、、。
サッカーゴールも網。ゴールはボールに乗っかったブラジル人の怒りを受け止め昇華させる。
ハンモックも網。ハンモックはブラジル人を包んで怒りを揺らし昇華させる。
どちらもブラジルで良く出会う網の姿。
そんなことを考えていた。
ブラジルで網を編む理由、、、。考えていても答えが出るわけもなし。考える前に動こう。編んだら何かが見えるかもしれない。
雨なら雨の時にできることをする。ブラジルにいるならブラジルでできることをする。
珍しくカッパ姿のラマルティーニ。アポロの長袖姿も初めてだった。
1日どしゃ降りでした