ブラジル19日目。ナタルツアー5日目の最終日。朝6時にナタルを出発し、一路レシフェへ向かう。12時頃レシフェに到着。別れの挨拶をしてナタルツアー終了。帰国組は空港へ、自分は柳澤さんとレシフェで行われるイタリア×コスタリカ戦の観戦に行った。(もともとのこのチケットは買ってなかったのだが、飛行機の都合で観戦できなくなった新潟の佐藤さんから譲っていただいたもの。佐藤さんありがとうございました!)。試合結果は0×1でまさかのコスタリカの勝ち。コスタリカは第一戦ではウルグアイに3×1で勝っているので、これで2勝。グループリーグ突破を決めた。ウルグアイ、イタリア、イングランドと一緒で死の組と呼ばれるリーグで、誰もが最下位予想したコスタリカが1位通過とは驚いた。スタジアムはほぼコスタリカサポーターで真っ赤に埋め尽くされ、イタリア人は静かになっていた。やはり開催国に近い国が環境への慣れや応援の厚みなど考えると有利のようだ。
ナタルからレシフェへ帰る道中、高層ビルからファベーラまで当然のように揺るがない格差として存在する社会とそこに生きる人を見ながら「ヒトといじめについて」考えた。
柳澤さんに聞いた。
五十嵐「ブラジルっていじめってあるんですか?」
柳澤さん「うーん。どうかな。まったくないかどうかは分からないけど。基本はないかもしれないな」
五十嵐「なんでですかね?自分が昔、男5人でヨットで太平洋を4ヶ月ほど旅をした時、学んだのですが、人って良くも悪くも役割分担が必要で、それはある種、演じることをなのですが、いじめっ子といじめられっ子とその他みたいなのがいないとバランスがとれない生き物みたいなんですよ。ヨットでの経験はその最小単位みたいなものでした」
柳澤さん「それならブラジルは格差があるから社会構造に富裕層と貧困層がはっきりしているから、その役割分担ができているのかもね。」
五十嵐「なるほど。だからブラジルではコミュニティ単位でのいじめみたいなのがないように感じるということですかね。日本では格差がない分、それぞれの小さなコミュニティ内でのいじめ的なものが生まれるということなんですかね」
柳澤さん「その格差によって生まれるストレスへのガス抜きがブラジルではサッカーなんだと思うよ。あとはストライキかな。こっちの人達はしょっちゅうストしてるからね」
五十嵐「しかし日本ってスト少ないですよね。何でですかね?」
柳澤さん「春闘とかしてるけど、あれも事前の打合せみたいなものでしょ?」
ふと思う。日本も気が付いていないだけで、多くの犠牲があってあの社会が成立しているのではないだろうか?犠牲が犠牲と気がつかないように社会を運営しているのか?社会に関わる側もそのことに気が付いていないのか?それでもその歪みは大きく過剰な労働やストレスによる自殺者も減らない。
日本とブラジルどっちの社会で生きても。問題がない社会などない。運営方法が違うだけである。社会構造は違えど人は人。人の性には逆らえない。それでも豊かに生きれるかどうかはやはり自分自身にかかっているようだ。
ドライバーのカルロス。ポルトデガリーニャスでも一緒だったのですっかり仲良くなりました。魚を焼くのが上手です。知らない土地で道に迷うとすぐにテンパリます。笑。でもカルロスがいると安心感があります。人柄って世界共通であるようです。
イタリア×コスタリカ。スタジアムは、ほぼコスタリカの赤一色。
日本×コートジボアールの時は雨の夜でしたが、この日は快晴。危険なほどの日差し。
天気が違うだけでまるで別のスタジアムです