出発時間ギリギリまで仕事をして、昼12時に家を飛び出した。目的地はブラジル。日本から見るとちょうど地球の裏側になる。
今日6月1日から約1ヶ月間、サッカーワールドカップが行われるブラジルのレシフェに滞在し、アートプロジェクト「そらあみ」に挑む。
「そらあみ」は参加者と共に空に向かって漁網を編むことで、人をつなぎ、記憶をつなぎ、完成した網の目を通して土地の風景を捉え直すプロジェクトである。これまで日本国内各地9カ所で行ってきた。
「そらあみ」が生まれたきっかけは、2011年の6月。東日本大震災を機に、20年に1度のペースで噴火があり、自然災害と共に生きる島の東京都三宅島に学ぶプロジェクト「三宅島大学」に参加した時、1人のベテラン漁師から漁網の編み方を学んだところからはじまる。この時、「編む」という遥か古代から海辺で営まれてきた共同作業の中に、過去から未来へと引継がれる縦軸(時間軸)と、海を超えてつながっていく横軸(空間軸)と2つの方向性をもって、“コミュニティをつなぐ所作”としての可能性を感じた。
そして、2013年11月に「帰島式」と題し、日本各地で編んだ網を始まりの島である三宅島に集め、共に編んだ各地の人と一緒にひとつなぎにした。この時「そらあみ」は全長111mになった。網越しに捉える風景は、海側から見ると白煙を上げる火山が見え、山側から見ると遥か彼方まで広がる太平洋が見えた。「次は世界だ………」。そう思った。
以前、浅草で行った時、観光旅行に来ていた外国人の方が、編み方を教えていないのに見事に編んでいった。この時、網の編み方は世界共通であることを知った。よくよく考えると漁網を編む技術は、海伝いに伝わっていったのだと想像できる。それならば海の向こうでもできるはずだ。
サッカーが世界共通言語であるように、漁網編みも世界共通言語である。
サッカー日本代表は、“日本のサッカー”で世界と戦うためにブラジルへと挑む。自分は、“日本のアートプロジェクト”で世界と戦うためにブラジルへ挑もう。そう考えた。
アートプロジェクトと呼ばれるものは、ここ十数年の間に日本で独自の進化を遂げ、国内ではそれなりの認知度を持つようになった。しかし、世界的な意味での美術史の中ではまだしっかりと位置づけであり、価値付けがされていないという現状がある。「アートプロジェクトとはいったい何なのか?」その現状が今、日本では問われている。
そこで自分が思うのは、まずその日本のアートプロジェクトが世界に通用するのか?ということである。自分は日本のアートプロジェクト創世記に育った作家である。いわばアートプロジェクトの中で育ったのである。アートプロジェクトのやり方は、絵の描き方みたいなもので人の数だけある。自分は、これまで現場で培った“自分のスタイル”で今まで、この世界で生き延びてきた。
その方法は「単身現地に飛び込み、人と会い土地から学び、築いた関係性を風景として共に立ち上げ、その土地に生きる人のその土地の見え方を少し変える」といったやり方だ。
はたして、日本という平和な島国で育ったやり方が、遠くブラジルの地で、大西洋の海を生きる漁師に通用するのか?治安問題や社会的状況が違う人達とやれるのか?初心に帰って、まずは単身乗り込むのだ。そして、どれくらい通じないのかを体感するのだ。考えていたって仕方がない。
自分のアートが世界に通じるのか?通じないのか?それが、ただ知りたいのだ。
自分のアートは日本の美術館ではなく、現場のコミュニティの中からはじまった。美術やアートといった言葉や意識のない、島や地方が主戦場だった。なので、ブラジルでも美術館ではなく土地に飛び込もうと思う。
自分は、アートは暮らしの中にあると考えている。そして、それは人が社会であり、自然であり、この星と向き合って生きていくことを意味する。なので、我々の仕事は、どこの場所に行っても、見えないものや、見えているけれど意識されていないものを、見えるようにすることである。
「アートプロジェクト」という言葉を紐解くと、アートをプロジェクトするとも解釈できる。プロジェクトには「投影する」「前に投げる」という意味がある。アートプロジェクトが形になりつつある日本という国の枠を超えて、アートプロジェクトをまだ見ぬ土地に(前に)投げることが、今のアートプロジェクトにとってのプロジェクトなのではないだろうか?言い直せば、例えばこうやって、前に投げ続けることでしかアートプロジェクトは成立し続けることはできないということである。
では、ちょっと地球の裏側まで仕事しにいってきます。
海から捕まえた風景
山から捕まえた風景