誰も見ていなくても花は咲き、木は葉を落とす

太宰府滞在28日目。くすかき14日目。雨のち曇り。会期22日間のくすかきもいよいよ後半戦に突入である。毎年、はじまってしまうとあっという間だなと思うのだが、やはり今年もあっという間に終わりが来そうである。

 

樟の木も枝を落とすようになった。枝を落としはじめたら、落葉の終わりが近づいてきていることを意味する。今年のくすかきも残すところあと8日。日々ドラマティックに変化する春の太宰府の1日としっかり向き合っていこうと思う。もう二度と今日という日はやって来ないのだから。

 

昨夜からの雨のため、早朝くすかきも朝のくすかきも中止。昨日の早朝くすかきを終え別れる時に、みんなで「今夜から雨だから明日の朝はなしだね(にやり)」と確認していた。ところが、朝、目が覚めると雨が止んでいるではないか!いや、ポツポツと振ったり止んだりを繰り返しているようだ。もしかしたら誰か来るかもしれない。まぁ、誰も来なくてもいいや。散歩でもしよう。と結局6時半に境内へ行くと、なんと来ているではないか、それも昨日「明日の朝はなしよね?」と確認した本人である信二さんではないか!なんだか嬉しくなってニヤけてしまう。

 

五十嵐「おはようございます!あれ?どうしたんですか?」

信二さん「なんか習慣になってしまってね」(毎朝犬の散歩がてら五条地区から15分くらいかけて参加している)

五十嵐「今日は葉っぱが濡れてて泥を掻くから、なしですね」「誰か来ますかね?」

信二さん「どうやろね」

 

一時すると、猛ダッシュで駆け寄る少年が2人。「おはようございます!!」松大路兄弟である。地元、太宰府小に通う小学生。兄は4年生、弟は新一年生(ちなみに今日が初めての給食はカレー)。父親も祖父も神主さんで、松大路家は代々太宰府天満宮をつないできた一族である。

 

兄「今日はやらんと?」

五十嵐「葉っぱに泥が付いてしまうからね。夕方にはやるよ」

兄「夕方はプールやけん。いかれん」

弟「じゃあさ。僕がさ、おにいちゃんの分のくすかきカード持ってくるからさ、朝の分のスタンプ押してね」五十嵐「うん。いいよ………お兄ちゃん思いだね」

弟「………(黙ってニコニコしている)」

 

そんなこんなで、結局、早朝くすかきはなかったのに、やはり来る人はいた。誰も来なくてもいいけど、誰かが来るかもしれないから、行って、会えてよかった。

 

日中は昨日と今日と公の開催ではなく、くすのこうたきを行った。樟脳の収穫が伸び悩んでいるから、もう少し樟脳づくりをやっておこうという考えである。くすのこうたきを行う鬼すべ堂のまわりは静かで、たくさんの花に囲まれている。今は、ツツジや藤がもうすぐ満開を迎えるといった雰囲気だ。

 

この辺りに咲く花は、ほとんど人知れず咲いている。誰も見ていないのにすごいなぁと感心するのだが、よくよく考えると、花は人のために咲いているわけではない。「人知れず咲いているなんて、、、」などと、人はおこがましいにもほどがある。必死に、生きるために、いやむしろ、淡々と粛々と咲いているのである。むしろ対象は虫や鳥である。人はつい自分を中心に考えてしまう。

 

太宰府天満宮のお祭りも、誰も見に来なくても続けているものがいくつもある。誰かに見てもらうことが目的ではないからだ。敢えていうならお宮であり、神様のために続けており、それは自分自身のためでもあると言えるのではないだろうか。

 

“続けること”を目的にしている「くすかき」。樟の木も、誰も見ていなくても葉を落とす。花が咲き、落ち葉が落ちるように、続けていきたい。それがどれだけ大変で魅力的なことなのか年を重ねるごとに身にしみてきている。

 

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今年の水蒸気蒸留装置は綱を締めて布のたるんだ部分に水を含ませ、冷却効果UP。相撲の土俵の近くで、たっぷりとした腹に、たくさんの人の手で綱を締められる姿は、まるで横綱です。

 

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自分のために、生きるために、そこに咲いている。

 

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遠くモザイク柄の山中に黄緑に見えるのは樟。鬼すべ堂の横も樟。小さな桃色と白色の丸はツツジ。紫は藤。

 

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夕方には掻きごたえのある量の落葉になっていました。

 

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掻き山もこれくらいまで大きくなると、あまり大きさの変化を感じなくなります。