現代に機能する網と機能しない網

沙弥島滞在5日目。午前中は香川県全体に配布される地元広報誌「THEかがわ」の特集取材3月号(予定)を受けたり、昨日染色し干していた編み紐が乾いたので、綛(輪っか)の状態から丸い玉の形に巻く作業やPCでの事務作業などを行った。昼過ぎまで海の家で作業し、その後、坂出市役所の山家さんに紹介してもらった「瀬戸内海歴史民俗資料館www.pref.kagawa.jp/setorekishi/」へ行ってみた。

 

坂出と高松のちょうど真ん中くらいにある瀬戸内海歴史民俗資料館には、国の重要有形民俗文化財に指定されている木造船や漁撈用具、生産用具、信仰用具などが展示してあり、瀬戸内地方の人々の伝統的な暮らしが紹介してある。その他にも、船図や船大工用具、塩田関係資料など、瀬戸内特有の暮らしや文化を物語る多彩な資料を見ることができる。しかも無料。本格的に網を編みはじめたら時間的余裕がなくなって行けなくなるだろうし、そして何より興味津々だったので、このタイミングで行くことにした。

 

実際に使用していた木造船や船時計や船磁石など、言うまでもなく自分にとっては最高に楽しめる資料ばかりで、時間を忘れてしまうほど見応えのあるものばかりだった。そこには、古い時代の編み針もあり、そしてなんと!というか当然かもしれないが、網も大きく展示してあった。さらに昔の鯛網漁の様子を描いた絵なども展示してあり、当時の人達が網をどのようにして使っていたのかを知ることができた。

 

大きく広げ展示された昔の網には強く惹かれたし、迫力があったのだが、どこかもの足りなさというか淋しさを感じた。それは、もう網としての役割を終えた存在となっていたからである。漁網は魚を獲るための漁具である。展示された漁網を使って、これから先、魚を獲ることはない。この網が最も機能し輝いていた瞬間は、海の中で魚を捕らえ、船上の大勢の漁師の手で引き上げられていた時である。展示してある姿も立派は立派だが、今はただの資料である。

 

そらあみも同じ漁網である。しかし魚を獲る漁網ではない。人をつなぎ、記憶を掘り起こし、風景をずらし、海からの視座で、陸中心の現代を問い直す網である。そらあみが最も機能し輝く瞬間は、共に編み、空に立ち上がり、その網の前に現代を生きる人が対峙した時である。

 

美術作品も表現なのだから、機能するかどうかが重要となる。社会の中で機能するかどうかということである。もちろん誰かの手に渡り、個人を相手に機能する作品もある。だが何らかの形で機能しなければ、どんなに立派な作品も、それは資料となる。美術資料である。どの作品も、作り手である作家は1つの時代を生き、作品をつくっているのだから、その作品が最も輝き機能する瞬間は、同じ時代に生きる人に向き合った時である。その後は、生きる人の年代の変化と価値や感覚の変化が起きるので、資料にはなるが、伝わるという意味では、作られた同じ時代に生きていない以上、表現としては、ただただズレを生むのみである。

 

そらあみは、現代社会の中で機能する漁網を編むのである。なので編む行為も含め作品なのである。誰とどのように編むかで、立ち上がる風景の意味も、網がつかまえるものの意味合いも変わってくる。その土地で、土地の人と編むことが重要なのである。

 

瀬戸内海歴史民俗資料館で、1つの時代の中での役割を終えた漁網と出会い、あらためて、そらあみの役割を確認した。

昨日染めた編み紐が乾いたので、糸玉にしていきます

瀬戸大橋。左側の工場地帯のむこうに沙弥島がある

本来の役割を終えた漁網

鯛網漁の図。こんなにたくさんの船と人が集っての漁。盛り上がらないわけがない。この漁をしていた人達はきっとかなり楽しかったに違いない。

どでかい編み針を発見!そらあみで使っているものの2倍の長さと太さはある。

この網の迫力と雰囲気

瀬戸内海の夕日。これだけはいつの時代も変わらない。