国際展と芸術祭

沙弥島滞在25日目。今日はレジデンスである沙弥島の海の家で1日事務作業。

 

1月27日に香川入りし、沙弥島・瀬居島・与島・岩黒島・櫃石島と5つの島の7つの地区を巡って、今日までに17回の網づくりワークショップを行ってきた。網を編んだ人の数は、延べ人数にして約250人。そのほとんどが漁師である。塩飽諸島の海に仲間ができたような感覚である。

 

自分がしている住民参加型のアートプロジェクトは、土地の風土を活かし、皆が参加し、力と知恵を出し合い、人がつながり運動体となり、その土地ならではの1つの風景をつくりあげる。それは日本に昔からある“祭(まつり)”の形式によく似ている。祭(まつり)の中心には神様が存在するが、アートプロジェクトの中心にはコンセプトや目的が存在する。

 

かつての芸術は、特別な力をもった人が、まるで神様の意志を代わりに可視化するように、絵画や彫刻をつくりあげ、それを民衆が崇めたり、もしくは楽しんだ。自分がやっていることはその逆で、皆がつくりあげたものを、もしくは楽しんでいる状況を、神様や第3者に見てもらうというものであり、楽しみ方は祭によく似ている。

 

自分はこのやり方が、日本という四季と環境の変化に富んだ島国に生きる人達に、芸術の楽しみ方として合っていると思う。啓蒙の対象(展示)ではなく、コミュニケーションの媒介(祝祭)としてのアートである。結果としても、国際“展”よりも芸術“祭”の方が日本では盛り上がりを見せ、観客動員数も多いと聞く。

 

それは純粋にアートを楽しむというだけではなく、アートをきっかけにして土地の風景や人や風土に触れるという魅力があるからだろう。なので、芸術祭という祝祭においては、その土地の力を味方にできるかどうかが、作品の強度にも大きく影響するように思う。

 

作品を巡って旅をする。それはまるで巡礼の旅のようでもある。瀬戸内国際芸術祭では、作品を巡って島々を旅するわけである。ここ四国には、空海(弘法大師)のゆかりのある88カ所の札所(寺)を巡拝する四国遍路という文化が古くからあり、地元の人達が、その巡礼者のことを“お遍路さん”と呼ぶ。どうやら日本人は昔から巡礼の旅が好きだったようである。四国遍路のある香川県は巡礼者の受け入れに慣れているに違いない。

 

芸術祭が開幕し、沙弥島に訪れた、たくさんの巡礼者の方々が、浜辺に立った“そらあみ”の前で、網越しに瀬戸内の海と島を眺めていると、偶然、地元の漁師さんが現れ、なぜか自慢げに作品について語られてしまう。そんな状況に出会うことができたら巡礼の旅をさらに深く楽しむことができるだろう。

 

ワークショップの合間の日にそんなことを考えた。