「そらあみ-氷見-」が捉えた風景

そらあみ25日目。今日は「そらあみ-氷見-」のお披露目の日。目前に広がる富山湾は碧く輝いている。水平線のむこうにはうっすらと白化粧した立山連峰が見える。天を仰ぐと突き抜けるような青空。最高の天候に恵まれた。いわゆる“そらあみ日和”である。

 

ここ比美乃江公園では、北陸新幹線開通記念とタイミングを重ね、約1ヶ月後の4月21日にオープンする「ひみ漁業交流館“魚々座”PRイベント」が行われた。

 

《そらあみ》は、定置網をモチーフとした会場空間となる魚々座の入口に、垣網部分(魚の誘導網)として設置される。他にも、氷見市で伝統的な木造和船の制作に取り組む船大工の番匠光昭さんと、美術作家の小川智彦が共同で制作した、大きな木造和船であるテント船のお披露目などもあり、イベント会場は多くの人で賑わった。

 

青空に掲げられた《そらあみ》は、“あいの風”を受け、美しく気持良さそうに棚引いていた。“あいの風”とは、この辺りの漁師さんもよく使う言葉で、北東方向(沖)から吹く風の呼び名である。

 

見に来た方の口々から「綺麗だね」の言葉が漏れ聞こえて来た時は、素直に嬉しかった。

 

そして何より、延べ人数にして331名の一緒に編んだ氷見の人達の顔がそこにあったのが嬉しかった。「ここ散歩コースなんよ」「あっちの橋の方から見ると色が映えて、なお、ええぞ」「もうちょっと編みたいわね」「むこうの道路まで離れて正面から見るのが一番やな」「この手すりに沿って、ずーっといくと魚々座やから残り200mくらい編むのもありやな」などなど、嬉しい言葉と再会があった。

 

現地入りするまでは、ブリの町のイメージしかほぼなかった氷見だが、そのブリは定置網で捕り、氷見には400年以上の定置網の歴史があり、かつては“村張り”といって村ごとに1人1人が株主となって定置網を張っていたり、その時の言葉の名残で魚の分け前のことを“かぶす(=株数)に、あたる(=配当)”と呼んだり、元々氷見では網はみんなのものであり「暮らしと網」の距離がとても近い土地であることが分かった。氷見人は網と共に生きてきたともいえる。

 

そんな土地の背景があったからこそ、平日でも毎日10名以上、休日で多い日には30名以上の人が《そらあみ》を編みに来てくれたのだと思う。結果、想定以上のスピードで、想定の倍の大きさの網が編み上がった。こんな勢いのあった土地はこれまで《そらあみ》を実施した中で1つもなかった。今、自分の中では“氷見は網の町”となっている。

 

すぐ後ろに山が迫り、目の前に富山湾が広がり、稲作ができる平地が少ない環境で生き抜くために、できあがった定置網漁。網に入る魚の2割程度しか回収できない、捕り過ぎないつくりとなっており、毎朝、野菜を収穫するように網を起こしにいく。それはまるで“海の畑”のようであった。ある程度時間をコントロールできる漁なので、海からもどったら畑仕事をする漁師さんもいる。まさに「半農半漁」の暮らしである。

 

自分がアート活動をする中で、現代社会の行き詰まり感や、陸の論理でつくられてきた世界の限界に、どのような次なる視点や考えを提示できるかが重要だと考えている。それに対する1つの答えとして自分の中に「海からの視点」であったり「海の復権」といった言葉がある。

 

アートの活動は新たな価値の創造ともいえると考えるが、人類にとって最大で最高の発見であり創造は「お金」である。今日のお金は、だれもが共有するイメージであり、誰もが共有する価値となっている。だが、その存在によって、今を生きる我々は苦しめられていると言ってもよいように思う。お金から自由になることはできないのだろうか?お金を超える価値や生き方はないのだろうか?

 

必死になって学び、盲目のように働き、死ぬまでのローンを組み、マスメディアに促されるまま消費の快楽に溺れる。それも決して悪いわけではない。人がどう生きようとそれぞれの生である。だがはたして幸せだろうか?お金は墓には持って行けない。何も知らずに死ぬ間際に自分の一生を後悔するのは辛い。いつしか人はお金に支配されてしまったかのようでもある。

 

人はなぜ生きるのか?本来の幸せとは、これからの幸せとは、どんなものなのだろうか?

 

人類がお金に出会う大きな分岐点は、「稲作の発見=米作り」である。米は食物であり、命をつなぐ価値がある。稲作以前は狩猟中心だったから肉や魚といった食べ物は時間が経つと腐り貯めることはできなかった。しかし米は貯めることができる。しかも、土地を広げればどんどん増やすことができる。土地が増えれば米もたくさん穫れ、自然と人も増える。マンパワーが増えれば、また土地を広げることができる。まるで、ねずみ講のように人と土地は増え広がっていく。そして米は、石高(こくだか)のように安定した価値となり、やがてその価値のみを純粋化し、共有価値であるお金へと飛躍していった。安定した陸という環境で、人が人を統べるために利用してきた価値ともいえる。

 

そう考えると、“米を貯められた”からお金は生まれたということになる。定置網に入る魚も食べ物で命をつなぐが、すぐに腐るから貯められない。貯められないから、海に泳ぐ魚は誰のものでもない。だからといって捕りすぎるとなくなる。しかし米のようには増やせないし、すぐに腐るので年貢のように納めることも難しい。貯められないから循環させるしかない。支配者側からしたら年貢を集めるには面倒な相手である。

 

震災後、東北で会った漁師の言葉を思い出した。その漁師は海を指差してこう言った「ここが、おれの財布だからよ。宵越しの金は持たねんだよ(笑)。俺は船があれば生きていける」。そうなのだ、ちょっと極端だが、漁師は金を持たない、貯めないのだ。魚は腐るから。あの時、あの漁師が自由であるように見えたのは、海という、この星の循環の中にいて、社会や流通がおかしくなっても魚を捕って生きていけるという揺るぎない姿があったからだ。

 

貯めることができた結果が今のお金と人の価値や支配の関係ならば、貯められない世界に、1つの考え方として学ぶべき可能性があるのではと考える。

 

そんな視点で、氷見の定置網や、半農半漁の暮らしの歴史や成り立ちを考えると、海と陸を行き来し、貯めつつ循環させるような暮らしに、未来に対する豊かさを感じる。

 

定置網の船頭であり、そらあみのワークショップをしたヒミングアートセンターが入っている石蔵のオーナーである堀埜さんに聞いた。

 

五十嵐「網を起こしに幾日も行かない時ってあるんですか?」

堀埜さん「正月くらいかな。」

五十嵐「仮に幾日も網を起こさなかったら定置網の中の魚って腐ってしまうんですか」

堀埜さん「んなもん泳いで、みんな網から出て行ってしまうわ(笑)」

 

そう。定置網には基本的には魚は貯まらない。網を起こした時に、網の中にいた魚を捕っているのだ。海に泳ぐ魚の大きな循環の一部をすくいあげているようなイメージが沸いた。貯まらないからいいのである。

 

《そらあみ》で捉え直すべき氷見の風景には、今の世界から自由になり、新しい豊さに向かうヒントがあるように感じた。氷見は豊かだ。ここに生きる人達は、仮に災害があって、何も届かなくなっても支え合って、この星を生き抜く術を知っている。

 

そういえば、自分も氷見にいるうちに不格好ながら魚がさばけるようになった。

 

あと、少しだけ寒さに強くなった気がする。

 

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テント船とそらあみ。

 

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網のむこうには城ヶ崎。昔、ここには阿尾城というお城があった。

 

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あいの風でたなびくそらあみ。

 

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昔から地元の信仰を集めている唐島。そのむこうに立山連峰がうっすらと見えた。