発破の音は聞こえない

沙弥島滞在16日目。今日は与島でのワークショップ。与島でのワークショップは岩黒島・沙弥島に続いて2巡目。2つの島と同様に網を編みながら船名と船にまつわる島や家族の物語の聞き込みを行った。

 

与島は他の4つの島と毛色が違う。石の島だからである。昔から与島石と呼ばれる石が採れたので主な仕事は漁業ではなく石の採掘業であった(現在は石が採れなくなったので採掘業は少ししかしていない)。なので、与島で船の話を聞くと石を運ぶ船が多く漁船はほとんどない。

 

石を運ぶ船の種類は2種類で、現在も使用しているガット船か、昔に使用していたデッキ船である。ガット船は石を1つずつ吊り、上げ下ろしをする船。デッキ船は側面がない、まさにデッキの上に石を乗せ、クレーンを動かし船の重心をずらし、船ごと傾けてドサッとまとめて石を海に流し込む船。石を落としている姿はまるで転覆しているかのようで、なんとも豪快なやり方である。

 

そんなやり方で、過去に転覆した船はなかったのかと聞くと、「船やで、それでもちゃんと元に戻るんよ」と当たり前のように話していた。「でも、たまにな、デッキ船で石を運んどると、大きな船が近くを通ってな、波が来るやろ、その波で船の重心がズレてな、予期せぬ場所で石をドサッと落としたことはあったわ、あれは良い魚礁(魚の住処)になるんよ。仕事にはならんけどな」と笑っていた。昔のピーク時はそのデッキ船が37隻もあったそうだ。

 

そして、“発破士(はっぱし)”と呼ばれる火薬を扱う専門家がおり、ダイナマイトの爆破で岩山から大きな岩石を掘り出し、それを石工が細かくして出荷していた。その頃(40〜60年前)、発破をかける時は「鳴るぞー!鳴るぞー!」のかけ声がして、一時すると、爆発音と共に、島が揺れたそうだ。そんな話を横に座って網を編むおばあちゃんが、うんうん、と懐かしそうにうなずく姿を見ると、発破で島が揺れる日常も、それはそれで、この島の日常であり、何の違和感もなかったのだと実感した。

 

昔は、すぐ近くでダイナマイトが爆発するのに手ぬぐいを頭に巻いて、地下足袋姿だったそうだ。さらに今のような機械もなかったから、石工は楔(くさび)を石の目に打ち込み石を割り、手で持って運び、時に落として足をつぶしたと、少し笑いながら話していた。昔の人は強い。自分の貧弱さが恥ずかしいくらいである。

 

更には、昔の話だが、発破は魚を獲る時にも使われたそうだ。船の上から魚の姿を見ると、導火線に火をつけて海に放り、「ドカン!」。気絶した魚が浮いて来て、それを獲った。なんだか、その漁のしかたは反則技のような気もする。が、やはりそんなに上手い話ばかりではないらしく、「でもな、鯛(たい)や鮴(めばる)といった良い魚は沈んで、鯔(ぼら)やこまい魚(小さな魚)しか浮いてこないんよ」とのこと。やはり楽して良い魚は獲れないように世の中はなっているようだ。

 

発破士は瀬戸大橋の建設時にも活躍した。現在、瀬戸大橋の土台になっている塩飽諸島の島々には当然、山があったりして凸凹していた。それを発破で平らにしたのだ。土台の中には海から直接浮いているように見えるものも、与島のすぐ近くにあるのだが、それは“三つ子島”というほんとに小さなしまを発破してその上に土台を建設したため、海の上に浮いているように見えるのだ、その下には頭を削られた三つ子島があり、橋を支えているのだ。

 

建設当時この辺りの海や島はいったいどれくらいの発破をかけられたのだろう。塩飽諸島の島々が爆発して橋ができたイメージが湧く。“島の形を変える”それは、石を彫るにせよ、橋の土台をつくるにせよ、すごいエネルギーである。潮や海の流れは変わったそうだ。魚も減った。島の形が変われば当然である。一時は海も汚くなったそうだ。だが「最近の海は綺麗すぎる」と言う、橋ができてから育った若い漁師さんの声もあった。橋ができる前の海を知る年輩漁師さんにとっては比較対象があるが、橋ができてからの海しか知らない若い漁師さんにとっては、今の海が全てである。それはいつの時代も変わらない。その時代、時代に向き合う環境の中で必死に生きるしかないのである。

 

ただ、漁師さんがいない世界になったらこの世界はつまらないだろうと思う。海からの視点でこの島国を、世界を、日常的に見ている人達がいなくなるからである。陸を中心に据え、発展してきた近代と対峙する思考と感覚が失われることになる。

 

“橋を架ける”というのは陸的発想である。道をつくり、つなぎ広げ、物流を加速させ、経済発展を試みる。ローマ時代から続く陸の方法論である。橋がかかれば便利になるが、極端に言うと、船があれば橋などいらない。むしろ、橋が架かると、そこで発生する利便性と同等のものが失われる。それが海や海の文化、その豊かさや思考や感覚である。

 

与島は5つの島の中で一番面積が大きいが、面積の割には人口が少なく、お年寄りが多い印象がある。発破をするといろんなものが飛び散る。与島は発破をしすぎて、発破をするものがなくなって、人も飛散していってしまったように思えた。そんな島の上に陸と陸をつなぐ、あの大きな橋は架かっている。歴史や人を含めた島という存在が、橋を支えているのである。

 

この与島で、発破の音はもう聞こえない。「鳴るぞー!鳴るぞー!」の呼びかけも聞こえない。

 

採掘場があった島の人が暮らす区域(東側)と、橋を挟んだ反対側(西側)に瀬戸大橋唯一の高速道路のサービスエリアである与島パーキングエリアがある。休日である今日は、そこにたくさんの観光客と自家用車がやってきていた。家族連れやカップル、大型バスでのツアー客が食事をしたり、お土産物を物色し、橋の前で記念写真を撮っている。遠くに橋の土台となった三つ子島も見える。

 

同じ島なのに、この人達は、発破の音を知ることも、考えることもない。ここにいる誰かが悪いわけではない。ただ、何かが足りない。

 

発破の音は聞こえない。

元々漁師でない与島の方々は回を重ねるごとに編む技術の成長があり、他の島とは違った面白さがあります。

石の島で網を編む

発破の音ならぬ、網をすく(編む)音が響いている。

この島が揺れることはもうないのだろう